誰のためのダムなのか?  2

  • 2009/10/15(木) 21:32:24

 



八ッ場ダムへ行って、そのことについては「誰のためのダムか?八ッ場ダムへ行って 1 」で書いたが、私自身の意見をまとめようとしていたところ、朝日新聞の視点に環境コンサルタントの市川 恭治氏の『ダムの自然破壊「戦略的環境アセス」全国に」という記事が載っていた。

 「私はこれまでダム開発に伴う環境アセスメントを何件か手がけてきた。今話題になっている八ッ場ダムや川辺川ダムも、当時建設相が任意で行った自然環境調査の一部の項目を手伝ったことがある。

 技術者としての反省を込めて言うと、大型ダム開発が生態系に及ぼす影響に対して、その予測や保全対策の技術は追いついていないのが現状だ。

自分が環境アセスにかかわったいくつかのダムの完成後の姿を見ると、その自然破壊は想像以上のすざましさだった。

景観は一変し、そこに住む動植物は壊滅的な影響を受ける。

移動能力のある鳥類や哺乳類など一部の動物は影響を免れることもあるが、その能力がない生き物、特に植物は失われてしまう。

 あるダムでは工事前はイヌワシをよく見かけたが、完成後は湖面上空を人為的な環境変化に強いトビやカラスばかりが飛んでいた。

工事跡地には気化植物が繁茂し、水没を免れたエリアでも、ダム湖出現による気象の微妙な変化でウチョウランなどの貴重な植物が消えた。

 ダムの下流では、流量の減少や水質変化のため、魚類にも大きな影響が出る。

ダムは川の流れを安定させるが、不安定な環境でこそ生育できる生き物も多い。

例えば河原特有の植物のカワラノギクは、年数回増水があるような不安定さが生育条件となっている。

こうした失われる生き物には、レッドデーターブック(環境省などが発行する絶滅のおそれのある種を示したリスト)の対象種が多く含まれている。

 八ッ場ダムなど環境影響評価法(アセス法)の成立(97年)以前に計画されたダムは、ほとんどまともな環境アセスがなされていない。

クマタカなど貴重な動植物に対する対応も、極めて不十分なままだ。

 最近では、ダム完成後のモニタリング調査結果が蓄積されるようになったが、それを次のダム計画に生かす仕組みはない。

そもそも環境アセスは開発を前提にしたものなので、問題点を指摘しても工事をストップさせることは困難なのが現実だ。

 現在、国は「戦略的環境アセスメント」の法制化を検討中だ。

 事業の立案段階で環境への影響を調べ、結果によっては代替案の検討や事業中止もあり得る制度である。

一部の自治体は独自に先行実施しているが早急に全国的に導入すべきだ。

現在見直し中のダム計画が143ヶ所ある。

以前から提唱されてきた「時のアセス(長く停滞した公共事業の再評価)」に加え、戦略的環境アセスも適用し、客観的データーに基づいて事業の是非を検討して、野生動物への影響を最小限にしてほしい。

 来年、名古屋市で「生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)」が開かれる。

我が国も92年に同条約制定に加わり、95年に「生物多様性国家戦略」を閣議決定した。

世界各国で失われつつある生き物を各国が協力して保全し、生物の多様性を維持する試みである。

議長国としての日本の姿勢が問われる場となる。」


 それでは、なぜ ダム建設をするのか?

『「ダムの建設理由として国側があげてきたのは「水害対策」と「首都圏への水供給」だ。

そもそもダムの建設計画が浮上した昭和22年の台風で、利根川水系で1900人を超える死者や行方不明者が出たことがきっかけだった。

その後、首都圏を中心とした6都県(東京、茨城、栃木、群馬、千葉、埼玉)に水を供給する利水ダムとしても計画が進められた。

 水害から62年。計画発表から57年。建設が長期化した大きな理由は、地元の反対にある。

温泉街など340戸の水没が前提のため、激しい反対運動が起きたのだ。

しかし、住民側は平成に入ってから、国側の説得を受け入れる「苦渋の決断」をした。それが突然の方針転換。

地元では「なぜ、いまさら議論がむしかえされるのか」という思いがある。』

 
 一方、民主党は「水害対策」「首都圏への水供給」という意義をほぼ全面否定。

「治水効果は疑問」「首都圏の水は足りている」と反論。さらに総事業費は当初2110億円だったが、国側が計画進捗(しんちょく)の遅れを理由に平成15年に4600億円に増額したことなども根拠に、「無駄な大型公共事業の代表」と位置づけている。

                             つづく

 


 

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誰のためのダムなのか?八ッ場ダムに行って 1

  • 2009/10/10(土) 11:27:06




政権がかわり、連日のようにテレビで八ッ場ダムのことが報道されています。

 ダム建設続行か?中止か?

 私なりの判断をするために、八ッ場ダムに行ってみることにしました。

 途中事故で渋滞し、関越自動車道の高坂パーキングで朝食をとることになりました。


 レストランで、「彩の玉手箱」と「彩美膳」を食べることにしました。

20091010112706
彩の玉手箱


彩美膳




 このレストランおすすめの料理だけあって、バラエティにとんだ料理が少しづつ盛られ、おしながきまでつけられて、なかなかサービスエリアの食事とは思えないような豪華なものでした。

 また、他では見かけないようなパエリアを売っているところもありました。




 渋川・伊香保インターを降りると、田園風景がひろがります。

 行く途中、蛍の保護地にされているとことがあり、記念撮影。

 


小川が流れています。


 稲刈りの時季なので道の両側のいたるところに稲穂が干してあります。



 何か子供の頃童謡で歌った「里の秋」という歌を思い出します。



 黄金色の稲穂が風に揺れ、雀がそれをねらってあたりでにぎやかにさえずっています。

 



 道はしだいに渓谷沿いの山道にさしかかり、見える風景もだいぶ変わってきました。

 ごつごつと突き出た岩の山、狭い道。

 途中駐車できるところがあり、車をとめて遊歩道を歩いてみました。



吾妻川沿いの遊歩道で、鹿飛橋という橋がかかっていました。


 



 滝があり、うっそうと樹々が生い茂り、とてもいいところです。

 





 空気がとてもきれいです。










 再び車に戻り、ダム建設現場へ向かいました。

途中、温泉街を通りましたが、移転するためほっておかれてさびれた印象でした。

 温泉街を抜けて橋のところまで通りかかると、テレビで報道されている工事中の巨大な橋が見えました。







 そして、テレビで報道されてから、この八ッ場ダムを訪れる人や車が増え、渋滞をひきおこしているということです。


 この写真からも車がじゅずつなぎになっているのがわかります。

 八ッ場館というダム建設について展示されている所へ行きました。


 ここからは、さらにあの巨大な橋がまじかに見えます。







 この八ッ場館の方からダム建設について伺いました。

 まだ、3〜4割の村人が移転せずに残っていること。

 住民はダムに沈む土地を耕しながら生活しているのかと思いきや、ほとんどがサラリーマンだということ。

 国からの保証金で高い移転する代替地を買い、住んでいた土地は更地にして返さなければならないこと。などなど。

 私自身の意見は、またあとでまとめて書くとして、ここへ来てはじめてわかることが、随分あった。

 八ッ場館を出て、ダムに沈むところを確かめに歩いてみた。



 道路を通すためにいたるところで山肌が削られていた。



 

吾妻川は強酸性川で魚も住めぬ川のため、中和剤を投入しているということです。




ダム建設反対について以下のような理由が出ていた。
 http://www1.jca.apc.org/kougai/sokai/sokai34/03yanba.html


「ダムの建設計画反対理由は極めて多岐である。
  
 
 第1に、建設予定地付近の吾妻川は強酸性であり、1日当たり60トンもの中和剤が注入されている。この中和剤の大半が八ツ場ダムに流入し、堆砂として蓄積されることになる。 


 第2に、堆砂として蓄積された中和剤は水質汚染の原因になる事が明らかであり、その汚染は下流の利根川の汚染へと拡大する怖れがある。
 

 第3に、関東地方でも有数の景観を誇る吾妻渓谷は壊滅し、渓谷美を最大の「売り物」としている川原湯温泉街の衰退は必至である。
 

 第4に、当初予算2110億が4600億円に増額された。しかし、現時に於いて付帯工事など一切を含めると、総経費は8800億と試算され、やがては9000億から1兆円という金額に「成長」すると思われる。当初はちいさな予算から出発し、追加工事の連発で膨張を続ける「小さく生んで大きく育てる」公共事業の典型である。
 

  第5に、計画立案が1952年(昭和27年)で、その基礎データは1947年(昭和22年)のキャサリーン台風の際の数値である。昭和22年の日本は敗戦直後であり、山も川も今とは様相を異にした。世間は移ろい変わっても「今時までたっても止まらない」公共事業の一つである。
 
 第6に、治水上も全く不要と思われる計画であるが、国交省は200年確率、即ち「200年に1度の大雨には役に立つ」の計算式グラフを解説している。その規準の14Pは「実際の雨がこのグラフに一致することは極めて稀である」と記載している。 

 第7に、昭和45年6月10日、衆議院地方行政委員会に於いて、当時の文化庁文化財保護部長は、建設予定地について「ダムの基礎地盤としてはきわめて不安定である」、「大型ダムの建設場所としてきわめて不安な状況」、「ダムを建設する場所としては非常に不安定な地形」との答弁を繰り返している。
 

 以上の反対理由のホンの「上澄み」である。その他、浅間山噴火、文化財保護、自然環境、水質、地質、治水、利水、などなど、反対理由を並べたているだけで紙数が尽きてしまう。事実、反対理由を述べる書籍が複数出版されている。」


 私自身行ってみて、さまざまな思いを持った。

 帰る途中、「神代の杉」というのがあって、記念撮影。



 水沢により、と言ってもお店はほとんど閉まっていて、開いていたカレーうどんの専門店「遊喜庵」で、水沢うどんを食べて、帰途に着いた。


                   つづく

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