冤罪の帝銀事件とエイズウィルスの奇妙な関係

  • 2011/09/08(木) 13:59:08


http://www.gasho.net/teigin-case/

帝銀事件とエイズウィルスの奇妙な関係?

 いったい、どういう関係があるのか?そこには 生物化学兵器を開発していた旧731部隊全員を東京裁判にかけない代わりに、人体実験の結果を米軍に引き渡したところからはじまっている。

 そしてこの帝銀事件は意外にもGHQのマル秘文書を調べていたアメリカ人ジャーナリストにより決定的な証拠が見つけられた。

 戦争犯罪人をちゃんと裁かず、利用したアメリカ。アメリカとのパイプがある731部隊の隊員によって作られたミドリ十字という製薬会社。その会社からエイズウィルスとは無縁の日本の人たちにさらにひろまっていくことになってしまったのだ。

 このことはA級戦犯を免れるかわりに、アメリカのスパイとして活躍し、原子力発電を推進してきた読売新聞の正力松太郎と同じような構図が見られる。

 それが現代ではアメリカに常におもねり、スパイ行為を働いた前原誠司につながっているような気がした。

帝銀事件:
 1948(昭和23)年、銀行員12人が毒殺され、現金と小切手が奪われる。赤痢の予防薬を占領軍の命令といい飲ませていた。毒薬は青酸ニトリールという特殊な薬物。

 容疑者としてある集団が浮かび上がった。それは、生物兵器開発のため、人体実験を行っていた731部隊。隊長石井四郎は「部下に犯人がいるような気がする」と述べてもいた。犯人を追い詰めながら、GHQより捜査中止命令が出る。

サンフランシスコジャーナリスト、ジョン・パウエル氏。GHQは、731部隊の存在を東京裁判で公にせずに、731部隊の人体実験研究データーをアメリカのものとしたかった。何より当時ソ連にデーターをとられたくなかった。GHQと731部隊の密約があった。

アメリカは、人体実験のデーターと引き換えに、731部隊の戦争犯罪は問わないという約束をしていた。事実、731部隊の幹部は全員戦犯として裁かれていない。

 GHQをあわてさせたのが、この帝銀事件だった。この事件で存在しないとされた731部隊の存在が明らかになることをGHQは恐れた。存在が明らかになることによって、データーがソ連に知られる恐れがあるからだ。アメリカはそれを阻止するために、捜査を中止させた。

そして、帝銀事件から2年後にアメリカは朝鮮戦争で、この生物兵器を使用した。続いて、ベトナム戦争でもこの生物兵器を使用したという。ベトナムでは、それによりペストが発生。

アメリカ陸軍フォート・ディートリック基地の生物化学研究所の731部隊のデーターは持ち込まれ、アメリカの生物化学兵器開発は急速に発展したという。

エイズウィルスの開発

 1972年(ニクソン時代)、「ガン撲滅」国家プロジェクトを発表する。本部はあの生物化学兵器研究所で、プロジェクトの目的は、ガン撲滅ではなくウィルス実験だったという。

医学博士アラン・キャントウェル氏によるとウィルスをある種の生物から別の種の生物に入れかえるととても危険なウィルスに生まれ変わることがあり、ガン研究の名に隠れて、そのようなウィルスを生む出すべく研究していた。その過程で、生まれたのがエイズウィルスだった。

1969年、軍の生物兵器担当者の議会での驚愕の議会証言がある。「我々は、ヒト免疫システムを破壊する新しいウィルスを作る計画を持っています。」それがエイズウィルスであり、ジャーナリストのデイブ・エモリー氏によるとエイズウィルスは、アメリカの生物兵器開発の過程で人工的に作られたもので、731部隊のデーターを利用した可能性があるという。アメリカの生物兵器として利用するはずのものが、外へ漏れたものだというのだ。

日本の薬害エイズ事件も製薬会社ミドリ十字の前身の血液銀行「日本プラットバンク」の創立者は、あの731部隊に所属していた。帝銀事件と薬害エイズ。その背後に731部隊とアメリカの影がつきまとう。

 そして獄中で無罪を叫びながら、平澤死刑囚は獄中死する。この帝銀事件の冤罪事件がどのようにして生まれたのかは、この動画を見るとよくわかる。

 









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  • 2013/12/15(日) 13:51:26

国立感染症研究所の名前は、近年のインフルエンザの流行に伴い世間一般にも知られる様になっている。
新宿区戸山にあるこの施設は、言わずと知れた旧731部隊所属の隊員により設立され、現在に至る。その地理的条件は…戸山団地・公園の片隅に人目を憚る様にひっそりと建てられながら…国立国際医療研究センター(旧陸軍第一病院)の裏側、若松町の石井四郎氏の自宅にほど近い事など…興味深い。そして…この感染症研究所の所在地は、帝銀事件の現場より大久保通りから山手通りを隔てる数キロだけの距離である事は、ご存知であろうか?
現在も…異様な静けさと不気味な外観の国立感染症研究所は…帝銀事件の頃より何ら変わらず…石井部隊の遺産としてAIDSの研究を続けている。

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