息子の彼女が泊まりに来て

  • 2011/02/06(日) 20:57:04


息子の彼女が金曜の夜から日曜日まで泊まりに来て、楽しくすごしました。


おみやげに和菓子やクローバーをいただいて。

あのいつも行列ができて並んでいるお店の かりんとう も。


久しぶりにパンを焼いたのだけど、すっかり作り方を忘れていて、おまけにオーブンの天板も見当たらずに他のもので代用し、どうなるかと思った。


日曜日の昼は、息子と彼女が「男のパスタ」なる料理をつくってくれ、和風パスタだったが、美味しかった。


なんか風邪をひいたのか、花粉なのか、せきが出て、喉が痛くなった。
飾ってあったカーネーションの花びらが、フリルのようできれい。

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節分

  • 2011/02/03(木) 18:26:57

 今年も豆まきの日が来た。いつも鬼役になるうさぎのペソが今年はいない。どうしても思い出して涙がこぼれる。

部屋を花で飾り、恵方巻きをつくって、今年の南南東の方角を向いて丸かじりした。これから息子と豆まき。玄関にいわしの頭をつけたひいらぎと豆をかざる。こうするといわしの匂いで今晩は鬼が入って来ないとか。呪術信仰によるのでしょうが、「豆まきをして鬼門のお払いをして春が来る」と思って今年も豆をまきます。


http://www.sioji.com/archives/687988.html
節分の豆まきと恵方巻き2011年方角について

 節分の由来というのは季節の始まりの前日を示したり季節を分けることを意味していました。現在では節分といえば立春の前日を表して用いることが通例になっています。

節分といえば「オニは外!フクは内!」と言いながら豆まきをしますよね。
この豆まきというのは、「追儺(ついな)」と呼び、中国から伝わった風習です。


日本では昔から穀物や、果実には「邪気を払う霊力」があると考えられていて、豆をまくことで豆の霊力により邪気を払うということなのだそうです。

地域によっては「鬼は内」という所もあります。
これは鬼を悪とみなさない地域や鬼をお祀りする神社でのしきたりだとか。

節分は豆まきの他には丸がぶり、恵方巻きなども有名です。

⇒節分のおもしろグッズ

恵方巻の起源はいくつもの説がありますが、江戸時代末期から明治時代初期にかけて、大阪・船場の商人による商売繁盛の祈願事として始まったという説、また豊臣秀吉の家臣・堀尾吉晴が偶々節分の前日に巻き寿司のような物を食べて出陣し、戦いに大勝利を収めたという故事を元にしているという説もあります。

道頓堀で行われた販売促進イベントがマスコミに取り上げられて関西に広がり、その後はコンビニで販売されるようになって全国で販売促進キャンペーンが行われるようになりました。

恵方(えほう)とは十干(じっかん)により、その年の幸運を招く方角のこと。歳徳神(としとくしん)のつかさどる方角とされています。恵方は毎年変わりますので今年は どの方角か知っておきましょう。

2011年の場合の恵方巻を食べる方角は、「南南東やや右」今年の恵方巻き


節分は恵方を向いて、無言でお願い事をしながら、巻ずしを丸かぶり(丸かじり)するといいと言われています。
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節分

http://www.iimiyazaki.com/season/setubun/main.html    
■ 節分の由来って何?

2月3日は節分の日です。「節分」は本来、季節の移り変わる時の意味で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指していました。特に立春が1年の初めと考えられることから次第に、「節分」といえば春の節分を指すものとなりました。立春を新年と考えれば、節分は大晦日にあたり、前年の邪気を祓うという意味をこめて、追儺(ついな)の行事が行われていたわけで、その一つが「豆まき」です。
追儺とは悪鬼・疫癘(えきれい)を追い払う行事のことで、平安時代、陰陽師たちにより宮中において大晦日盛大に行われ、その後、諸国の社寺でも行われるようになった。古く中国に始まり、日本へは文武天皇の頃に伝わったといわれています。

■ なぜ、豆をまく?! 鬼は外!の鬼って何?

一般的には、豆まきは年男(その年の干支を持つ生まれの人)、または、一家の主人が煎った大豆をまき、家族は自分の歳の数だけ豆を食べるとその年は、病気にならず長生きすると言われています。さて、ここで何故、豆をまくのでしょうか?
陰陽五行、十干十二支という考え方が大きく関わってきます。
「鬼門」ってご存知でしょうか?風水や家相などの東洋占星術でよく使われる言葉で北東にあたる方位が鬼門とされています。
では、なぜ北東の方位が鬼門なのでしょうか?
いろいろな説があるのですが、昔の中国の道教の影響があると言われており、冥府の神として信仰されていた「秦山府君」が住むと言われていた山が北東にあったことから、冥府→北東→鬼門といわれています。鬼門の方角は十二支では、丑と寅の方角(うしとら)に当り、鬼の姿はこの牛の角をもち、トラのパンツを身に付けています。ここで、丑というのは12月を、寅は1月を指します。ちょうど12月から1月にかけての季節の節目に「鬼門」があるのです。鬼門は鬼の出入りする方角でこの邪気を祓うことにより、春が無事に迎えられると考えられていました。ここで陰陽五行の法則の登場です。



五行とは、自然の道理を木、火、土、金、水の五元素の事を表しており、この「金」というのが、硬いとか、厄病という意味があり、鬼の象徴で鬼が金棒を持っているのもこの「金」の象徴です。この「金」の作用をなくすのが、五行でいう「火」に当ります。大豆というのは、とても硬いという事で、「金」に当ります。イコール鬼です。これを火で煎る(火が金を溶かすという火剋金の作用)と同時に、豆まきで外や内にこの大豆がばらまかれて結局、人間が食べてしまうことにより、鬼を退治することになります。また、豆をまく事により、五行の「木」を助けるという事で、「春の気を助ける」から「春を呼ぶ行事」でもあります。

■ 節分行事、巻き寿司を食べるのは?
↑戻る
節分の日、「巻き寿司のまるかぶり」が節分のイベントととして世間に浸透してきたのは、大阪が発祥の地といわれており、大阪海苔問屋協同組合が道頓堀で行った行事をマスコミが取り上げ、全国の食品メーカーがそれに便乗して全国に広まったそうです。
太い巻き寿司をラッパを吹くようにくわえて恵方に向かって私語を交えずに丸ごと食べる事により、1年間良い事あるそうです。
巻き寿司を使うのは理由は、「福を巻き込む」からで、また、まるごと食べるのは、「縁を切らないために包丁を入れない」という事です。
また、恵方とは陰陽道で、その年の干支に基づいてめでたいと定められた方角の事を表します。

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「元祖テレビ世代」(ポスト団塊世代)の生活を振り返って

  • 2011/01/13(木) 10:10:35

 
 昨日の新聞に合格祈願で湯島天神(湯島天満宮)がにぎわっているとあった。多くの参拝客に願い事されて、この時期神様も大変だろうと思った。寒さが身にしみると、「あーもう受験の時期なのだなー」と思う。年をとって新年を迎える年越しの参拝が寒さできつくなり、今年は年が明けてからのお参りだった。だんだん、年をとるにつれて、今まで当たり前のようにしていたことをするのが難しくなるのだとも思った。

 先日、車に乗っていて、「オールナイト日本」の音楽が聞こえ、思わず懐かしくなった。そういえば受験勉強をしていた頃よく聞いたっけ。私は、明治生まれの厳格な祖父母に育てられ、子供の頃から早寝早起きで育った。小学校の頃など、夕方6時には家族全員揃って正座しての食事。デザートが運ばれ食べるまで席を立てなかった。祖父が帰ったり来客があれば、玄関に三つ指ついて迎えたものだった。(母はその習慣が身についていて、今ケアマネージャーさんなど誰が来てもこのようにして迎えている)。8時には、家中の電気が消えてしまう。子供の時間はそれまでで、勿論大人は子供が寝てから起きて大人の時間をすごすのかもしれないが、知らず知らずのうちに早寝早起きの習慣が身についていた。

高校受験だったか大学受験だったか、受験生が誰でもするような受験勉強を徹夜でしてみた。この時かかっていたのが、この「オールナイト日本」の曲だった。なんか夜起きているのが、ちょっと大人になった気分だったのを今でも覚えている。ただ、長年身についた習慣とはなかなか消えぬもの。結局、夜起きていてもちっとも覚えられず、すぐに朝型の勉強法に変えてしまった。

 大学時代、通っていた女子大の児童育成カウンセラーのボランティアを先輩にすすめられ、朝日厚生事業団の試験を受け、スケートやキャンプの指導員として子供たちとすごすことが夏休みや冬休みの生活のほとんどとなった。スケートの指導をするのにオープン前のスケート場で練習するため、始発に乗って電車の中で日の出を見ることもしばしばであった。

「こどもの国」だけでなく、表彰のため朝日厚生事業団の主催する健康優良児童が東京に来たときの青少年センターでの付き添いカウンセラーなど、大学時代はこどもたちとのキャンプカウンセラーやスケート場の指導員など、出るのは交通費だけだったから今の学生のアルバイト代などとは雲泥の差だったが、それほどお金を使うということもなくすごした。

 大学を卒業する頃、祖父が亡くなり、母は子供の頃から実家に帰っていて、女性も生活力がなければ母のように子供を置いて出て行かざるを得ないと思った私は、この当時女性が男性と同等に仕事ができるのは教職だけと、教員試験を志した。子供とすごした大学時代がそのように決めさせたのかもしれない。

 そんなとき大学から「行ってみないか」と紹介があり、大学の理事長面接を受けて紹介された学校へ行った。このときの理事長面接ほど緊張したことはない。論文を通り、面接さえ通ればほぼ間違いないと言われていたからだ。採用されて辞めるまでの26年(定年まで勤められればよかったのだけど、それは今までのブログにも書いたようにかなわなかった。)在職中・辞めてから精神的にも痛手を追った私が、ここまで立ち直れたことが不思議だ。だけど、辞めてはじめて真の友人にも会うことができた。傷ついた経験があるから、人の痛みがわかる。優しくなれると思っている。冤罪被害者など世間から突き放された方々の痛みについてブログに書かざるを得ない気持ちにもなるのだ。

 家事と育児と仕事と。二人の子供を保育園に預けながら、11年の保育園の送り迎えは本当にきつかった。夕方、仕事から保育園に子供を迎えに行き、連れて帰ってからがそれはもう闘いで、産休明けの子育て(上の子のときは産休は産前・産後6週、下の子の時は産前6週・産後8週だった。)など、育児について何も知らぬ上、何もかも一人でせねばならず、飲んだくれ夫などあてにはできず、子供の首の座らぬうちは、風呂上りなど裸同然で飛び回らざるを得なかった。

 子供が保育園に入るまで、延長保育ができるまでの二重保育の間は子育てのベテランの保育ママさん(出産間近に他区に越したので保育ママさんに空きがなく保育ママさんの紹介で区から認可を得ていない方だが)にずいぶん助けられ力になっていただき、励ましてもいただいた。未熟な母親より保育ママさんの方が子供は安心だったようで、今は嫁いだ娘などは昼間はずーと寝ていて手のかからぬ子だと言われ、家に帰ってから目をぱっちり開けて眠らず、夜中におんぶしたり抱っこしたり、仕事で疲れ、朝は早い仕事なのに、家事と育児に追われ、泣きたい思いだった。

 こんな中で育てられた我が家の子供たちは、およそ私の子供時代のように8時には寝るなどという生活をさせることはできず、食事をしてやっと落ち着いたと思ったら9時をすぎていて、なんだかんだでどうしたって10時を過ぎるということになる。まあ、核家族だとどうしてもこうなる。おじいちゃんやおばあちゃんがいれば、それはそれで気苦労もあるだろうけど、子供を見ていてもらうこともできる。だけど、こどもが生まれたとたんに、何もかも母親一人にかぶさってくるって何だろうと思った。

 「女性も働いた方がいい」という言葉にのせられて結婚したが、気がつくといつも一人で家事や育児をこなし、それでもときどきお風呂にこどもを入れてくれたり公園へつれてってくれるっだけましかと自分をなぐさめ、毎日のように赤ちょうちんで飲んでくる夫をうらめしく思ったものだった。

 こんな中でひたすら「今に見ておれ!」と、こどもが成人する日だけを楽しみにすごしてきたといってよい。子育ては大変だった。だけどあのぐっすり寝られる時間を楽しみにして夢中で子育てしていた頃が懐かしい。今はたっぷり寝る時間もある。

 離婚をして今、新たに自分のための人生を歩み始めて、それまで縛り付けられていた仕事から離れ、今だにフラッシュバックして苦しむことはあっても、心から分かり合える友人も得て、幸せなのではないかと思う。どんな経験も無駄ではなかったと思うからだ。辛いあの時があって、分かり合える人たちとめぐり合える、そう思えるからだ。女性が社会進出するのがまだめずらしかった頃(大学の友達はほとんど在学中に見合い、卒業と同時に結婚。私のように4年制大学に進む女性は少なく短大がほとんどだった)、必死で子育てと格闘した中で育った我が家の子供たちには、さびしい思いもさせたのではという気持ちもある。

 「今日は帰り遅くなるから食事いらない」と言って仕事に出ることがほとんどになった息子に、友達の仕事が終わるのを待って一緒に食事したり、パソコンの設定を換えてもらったり、あれこれお茶を飲んだりしながらという日々をすごしている。

 私が育った頃は、こうして食事をしに夜出ることなど考えられなかった。どこのお店も夕方には閉まってしまい、家で家族とすごすのがほとんどだった。今はお正月からやっているお店やコンビニなど便利になったと思う。だからこそ、多種多様な生き方ができるのかもしれない。

 日本の国もバブルがはじけて、ただお金だけの価値観から変化しつつあるように思う。政権が交代したのだから、国民が心豊かに暮らせるような世の中を、国民を大事にできるような世の中を、自分の権力を維持するだけに固執せずに、いつも日本の国に生きて生活している人たちに目を向けながら政治に携わってもらいたいと願っている。「日本に生まれてよかった」と思ってもらえる国となるよう、為政者は常に心してもらいたい。

 はじめてテレビが登場した「元祖テレビ世代」をすごして、テレビのあり方も問われる時代となることだろう。人権を無視し、レッテルを貼り、攻撃する情報操作の手段として本来の果たすべき役割を逸脱したメディアの責任を、これからは視聴者が指摘し、真実を伝えないメディアは視聴者から拒否しネットに変える時代となるだろう。

「元祖テレビ時代」「抱っこちゃん時代」「フラフープ時代」「月光仮面・怪人二十面相時代」など、育った時代を象徴する言葉は、いくつもある。戦後のあまりの急激な日本の変化に、生きるのにも時代にめまぐるしく協調・対応して生きざるを得ない。時代に取り残されないように、置いていかれないようにと息せききってついていく、そんな時代から中身で結びつく時代へと変わっていくのかもしれないとふと思うのだった。

 

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