真実を求めて  沖縄密約を巡る西山太吉元記者と元外務省アメリカ局長吉野文六氏の歩み

  • 2009/12/08(火) 17:14:34



「ジャーナリストは権力と対峙するが、マスコミは権力の側につく」。この言葉はある国際シンポジウムに行ったときに聞いた言葉で、以来私の心から離れずにいるものです。



最近のテレビをはじめとするマスコミの報道に疑問を抱きつつある私の目にに、折りも折「核密約はない」と言い続けた自民党政権時代の政府答弁が、



12月1日の元アメリカ局長吉野文六返還交渉責任者の証言により覆されたという新聞記事が飛び込んできました。

 長い年月真実を追い求めてきた西山太吉とそれを支えたジャーナリスト達を、政権交代と岡田外務大臣の努力がこの日を迎えさせたのだと思いました。
 これを機に、この事件だけではなく自民党政権時代権力によって闇に葬られた事件の真相が明らかになればいいと思わずにはいられません。政権が変わるというのはこういうことなのだと思う出来事でした。



それにしても政権が変わり、これから政治が国民のために動き出すというときに、民主党に対する社民党や国民新党の動きは内部分裂をおこすように見えてどうなるのかという不安と悲しみを覚えます。
自民党の石波さんのいいなりの連立離脱したって社民党の存在そのものが危うくなるだけだし、財政のことなど考えずにぱーっと景気よくやれという国民新党には気持ちはわかるけれど国債に頼って国民の借金を増やすようなやり方はこれまでの自民党政権と同じではないかと思ってしまいます。



何が何でも主張を通さなければ連立を離脱するなどとたんかまで切って、結局は民主党も社民党も国民新党も分裂し、こんなに一生懸命やっている岡田外務大臣の立場や鳩山連立政権を危うく誰かがさせているようにも思えるのです。、私としては今の福島大臣や政権交代したにもかかわらず自民党時代の大臣経験を押し通す亀井大臣の発言や行動にあまりよい印象を持たないのですが。

マスコミの報道にも偏ったところはあるのでしょうが。
マスコミの報道にも偏ったところはあるのでしょうが。

 
 さて、12月2日の朝日新聞の朝刊に、元外務省局長で91歳になる吉野文六氏が法廷で「沖縄返還密約に署名した。」と初証言という記事が載っていました。






西山氏が機密電文を手渡すようにと外務事務官をそそのかしたとされ国家公務員法違反に問われた裁判で吉野氏は検察側の証人だった人です。

社会党議員横路孝弘・楢崎弥之助両氏が国会で外務省の機密電文の写しを手に政府に沖縄返還をめぐる核密約の存在を迫ったのが1972年3月末。

核機密問題は当時の佐藤栄作内閣総理大臣のもと、政府は外務省極秘電文コピーが本物であることを認めた上で密約を否定し、密約スクープの情報源が外務省の女性事務官だったことから「基地の原状回復費を米国の代わりに日本が肩代わりする密約」スクープを女性スキャンダルにすりかえ、機密文書を洩らしたとして西山記者と女性事務官は4月4日に国家公務員法(守秘義務)違反の疑いで逮捕、起訴されます。

 さらに「週刊新潮」によって不倫関係がスクープされ、検察官佐藤道夫(元札幌高検検事長、元参議院議員)が女性スキャンダルを起訴状に載せると状況が一転し、毎日新聞は夕刊に「本社見解とおわび」を掲載し、以後この問題の追究をやめることとなりました。

「週刊新潮」は「機密漏洩事件━美しい日本の美しくない日本人」という新聞批判の大キャンペーンを行い、また女性誌、テレビのワイドショーなどが連日批判を展開、世論は西山・女性事務官攻撃に向かいます。

一審判決で西山無罪。女性事務官懲役6ヶ月、執行猶予1年が求刑され女性は離婚。女性事務官への同情と西山への反発により、一審判決後西山は失職し真実を追究するため郷里で家業を継ぐこととなります。

一方、この事件後西山の勤務していた毎日新聞社は西山記者のセックススキャンダル報道を理由にした不買運動により発行部数減少し、またオイルショックから1977年倒産。

スポンサー獲得のため政治部主導で宮本顕治日本共産党委員長と池田大作創価学会会長との関係を取り持つことに成功し、1979年12月に両者間で日本共産党と創価学会の合意協定(創共協定)を締結、その見返りとして「聖教新聞」の印刷代行を受注することとなり、これ以降大手メディアの政治部が国家機密に関わる事項をスクープするということがなくなったということです。(リクルート事件スクープは政治部ではなく社会部)

核密約はないとする国相手に1978年には最高裁が上告棄却、西山記者の有罪が確定。しかし、2000年5月には我部政明琉球大教授と朝日新聞が、米公文書館で機密指定が解かれた公文書の中に密約を裏づける文書を発見し、そこには西山がスクープした400ドル以外にも日本が1億8700万ドルを米国に提供する密約が記されており、毎日・朝日新聞が米公文書を載せ、密約が国民にも明らかになりました。

2002年には、1976年6月の米国家安全保障会議文書が公開され、その中には「日本政府が400万ドルという数字と日米間の密約が公にならないよう神経をとがらせていて、メディアの追求に対して米国側に同一歩調をとるよう要求してきている」と記載されていました。

2002年6月、当時の川口順子外務大臣が「事実関係として密約はない」、福田康夫官房長官も「密約は一切ない」と答え、密約は日本政府により隠蔽されてきたことがあきらかになってきます。

2005年4月25日西山は「密約の存在を知りながら違法に起訴された」として国家賠償訴訟を提訴するも2007年3月27日東京地裁は「損害賠償20年の除斥期間を過ぎ、請求の権利がない」として訴えを棄却。原告控訴。

しかし、この間に2006年2月元アメリカ外務省局長吉野文六が北海道新聞の取材に日本側当事者として密約の存在を初めて認め、「毎日」社説が「密約5本、その額は2億700万ドルに切込む報道を!」取り上げ、また吉野局長が毎日朝日新聞に明かした真実を大手紙がフォローしていきます。

2006年2月安倍晋三官房長官は「まったくそうした密約はなかった」と記者会見で主張するも、3月「河野洋平外相が吉野氏に密約否定を要請」という吉野文六氏発言第2弾朝日新聞諸永裕司記者のスクープ(2006年2月24日)が発表されます。

2007年5月沖縄タイムスが、米公文書から日本政府が米国に支払った400万ドルのうち300万ドル以上が権利者に支払われず、米陸軍経費に流用されていた事実も発覚。

2007年12月、高村正彦外務大臣は国会で「歴代外務大臣が答弁しているように密約はございません」と答弁。

2008年2月最高裁控訴審、「20年の除斥期間で請求権は消滅」と原告敗訴。控訴を棄却。

2008年9月最高裁原告上告棄却、一審、二審の判決が確定するが、作家や研究者、ジャーナリストら63人が連名で情報公開法に基づき「日本政府はいまも隠蔽を続けている。その根幹を隠す。隠蔽は民主主義の成熟を阻む」という請求理由で、沖縄返還をめぐって日米政府間で交わされた密約文書3通の開示を外務省と財務省に請求(米公文書では公開されている)していきます。



外務・財務省は10月2日対象文書の「不存在」を理由に不開示を決定するが、西山側は提訴して真相究明にあたるとして2009年3月西山他25人、不開示処分取り消しと文書開示、慰謝料を請求する「沖縄密約情報公開訴訟」を提起し、8月には吉野を12月承認として呼び、尋問することに決定します。

2009年7月、2001年の情報公開法施行に先立ち、2000年に中央省庁各所で書類処分行われます。破棄書類は外務省が頭抜けて多く、その破棄書類の中に密約関係のものも含まれていた疑いがあることを朝日新聞がスクープ。

沖縄返還協定密約の相手国米国は、2009年現在密約を示す文書については機密解除され、米国立公文書記録管理局で公文書としての閲覧は可能であるが、日本政府は文書の存在そのものをあいかわらず否定しています。

米国公文書公開によって、400万ドルのうち300万ドルは地権者に渡らず、米軍経費などに流用されたことだけでなく、この密約以外に日本が米国に合計1億8700ドルを提供する密約、日本政府が米国に西山のスクープに対する口止めを要求した記録文書などが明らかになってきます。

2009年3月14日 岡田克也・民主党副代表、「やりたいのは情報公開。政権交代が成ったら隠しているものを全部出す、政府がどれだけうそを言ってきたかわかる」と発言。
 
2009年9月16日、民主党主導の鳩山由紀夫内閣が成立し、外務大臣となった岡田克也氏は情報公開の一環として機密関連文書を全て調査の上公開するよう命じ、非核三原則裏で締結された核持ち込み密約と朝鮮半島有事における作戦行動に関する密約も11月までに調査公表するよう外務次官に指示。



このように国民に直接語りかけるのはとてもいいことだと思います。

2009年11月、岡田外務大臣「日米密約調査に関する有識者委員会」設置を決定し、岡田外相の意向で外務省の有識者委員会が沖縄返還関連を含む四つの「密約」を対象に調査・分析作業を進めることとなりました。

 吉野氏は「吉野文六オーラルヒストリー」で1999年に「密約」と「偽証」を証言し、死後同書で公表する予定でしたが、2006年の北海道新聞で「偽証」と「密約」を証言以来、朝日新聞記者に「河野洋平外相からの口止め要請」とすでにメディアには「密約」の存在を述べており、公の場で「密約」を認めるかが同訴訟の焦点となっていました。

歴代の外相・外務大臣などは密約を認めていなかったのですが、岡田外務大臣が「密約」の有無を調査するため「大臣命令」を発動、これによりそれまで主秘義務に縛られていた吉野氏は生存中に法廷で証言できることになりました。

そして、この日沖縄密約情報公開訴訟に原告側証人として出廷し、「過去の密約を歪曲するのは、国民のためにならない」と古巣である外務省や政府に注文をつけ、「日本は米国の公文書管理制度を見習うべきだ。25年か30年たてば、公文書を公開して、誰でも公開できる、そういう制度を日本の外交にも採用することがいいことだと思います。」と述べたといいます。そして、「密約」が存在する事実、密約文書に「BY」(Bunroku Yoshino)と署名したこと、偽証したことを認めたのです。

偽証については、「私がそう言ったからと言って、(検察は)偽証罪に問わなかった。それほど検察も政府側だった」とこの日の記者会見で述べています。

吉野氏の証言は2時間余りに及び、証言後西山氏と吉野氏は握手をし、「落ち着いたらいつか会いましょう。」「連絡してください。」と言葉を交わしたということです。

吉野氏は西山氏に対し、「彼がたくさんの費用と時間を費やして裁判に挑んでいる。信念の強さに感心していました。」と会見で打ち明け、「大きな歴史には貢献できてはいないだろうが、真相を語ったつもりです。」と述べ、、公文書を基に真実を追及する歴史家やジャーナリズムの努力を評価し、「そういう努力を続けることが日本の将来のために有益だと信ずるようになりました。」と言ったということです。

また、閉廷後西山氏は吉野氏に対して、「相当な覚悟があっての発言だと思う。感激的な日でした」と語り、37年ぶりの笑顔を見せたといいます。

 
 当時毎日新聞記者だったジャーナリスト西山太吉が核密約と外務省漏洩事件で提訴して37年、国家を相手に真実を求めた一人のジャーナリストと守秘義務に縛られながらも事実を述べた元外務省アメリカ局長、この日の二人の握手と笑顔は何を意味するのでしょうか?

核密約と言われても何のことだかちんぷんかんぷんだった私は、ただこのジャーナリスト西山太吉の信念が、しだいに人々の心を揺さぶり真実の証言を勝ち得たのだと思っていました。ところが調べてみるとその37年の月日は、真実を勝ち取るというだけでなく、実に多くのことを私に教えてくれたといえます。

諸永裕司「西山太吉の妻 37年目の初告白」の中で、この事件の陰で耐えた西山夫人のことが書かれています。「夫に裏切られ、それを満天下にさらされ、そのうえ、国家が結んだ「密約」を男女問題にすりかえられた。夫の嘘と国の嘘。被害者といえば、啓子こそ二重の意味で被害者ではなかったか。」


 密約があるのにないと言い通した日本政府。アメリカの公文書公開により核密約が明らかになっても否定し続ける自民党政権。そのためにどれだけの人達の人生が翻弄されたことか。当時の自民党政権下で否定し続けてきた人達は今こそ事実を認めて、真の意味の政権交代をしてもらいたいと思わずにはいられません。
(2009.12.8 記)



参考

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20091202-OYT1T01386.htm
http://www.asahi.com/politics/update/1120/TKY200911200507.html
http://plaza.across.or.jp/~fujimori/nt03.html
http://www.asahi.com/politics/update/1120/TKY200911200507.html
http://www.pjnews.net/news/532/20091028_7


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