母の検査に付き添って

  • 2010/11/15(月) 20:16:28

 
母が、MRIの検査を受けるというので、付き添って病院へ行った。買い物し、母の家で、掃除・部屋の片づけ・洗濯などの家事を夕方までして帰る。帰りに雨がかなり降っていて、和順庭に昨日植えた苗などは、この雨を喜んでいるなと思った。

これだけの雨が降るのも久しぶりなので、ざーっと降ってからりと晴れるといいのだが。暖かな日が続いたけれど、今日は朝は肌寒かった。

ひとり母を残して帰るのは、なぜかこの頃さびしさを感じる。思えば、年をとって、母が身の回りのことがひとりでするのが辛くなり、私達を求めるようになったこの年になって母と親子らしい話をするようになった気がする。

老いていく母の姿は、やがてたどるかもしれない道。自分で自分のことができなくなって、まわりに気を使い、娘にも遠慮をするようになるのだろうか?母の部屋を掃除し、片づけながら、母の気持ちの変化やさびしさ・不安に気づかずにきたことにいたたまれなさを覚えた。老いることは、誰もが通る道。決して恥ずかしいことではないのだが、誰よりもそれまで出来ていたことが出来なくなる自分自身の変化に戸惑い、うろたえてしまうのかもしれない。自分がそれまでの自分でなくなっていくことを見ていくことの不安。その現実に私もまた、直面するのだろうか?

 今、何より母の本心はどうなのだろうと思う。口をついて出る言葉と本心とが同じなのだろうか?と思う。言っても無理だと思って言わないのか、それとも娘に嫌われたくないとの思いから言わずにいてしまうのか?母を知らず知らずのうちに、追い込んではいないだろうか?心のうちを語れなくなってはいないだろうか?探るように気持ちを推し量るのにも疲れるが、母の気持ちがわからずして事をあれこれ進めて、取り返しのつかないことにならないようにと思う。

 私自身、年を取ると、母のことを面倒みきれるかどうかも不安になる。私でさえこのように思うのだから、老々介護となればなおさらだと思う。介護保険制度ができ、それまでの家族だけが世話をすることから、社会全体でこの問題をとらえようとする考え方に変わってきたとはいっても、まだ、制度も施設などについてもあまりにも不備が多く、これから急速に訪れる高齢者社会に対応できるのかと思う。

隠して世間にさらさずに家族だけで何とかしようという、これまでの福祉政策のあり方だけでは対応できなくなったことが、介護保険をはじめとする制度改革につながったのだが、少子高齢化の少子の部分についての政府の取り組みはなされても、高齢化問題については個々の事業所まかせの側面もあり、当事者になってみて初めてケア・マネージャをつけるとか、デイ・サービスやヘルパーなどを介護認定の範囲内で行うということがどういうことなのかがわかってくる。

理解するまで料金などかなり複雑なような気がする。介護保険を払っていても、自己負担金が払えなければ、サービスを受けることも難しくなる。また、どのようなケア・マネージャーがつくかによっても、ずいぶん変わってくることもわかった。区の施設についてはどこもそれほど差はないにしても、グループ・ホームやデイ・サービスとなると見学だけで決めることの難しさなど、その場になって気づくこともある。

これからどのようになっていくのか?ただ、言えることは、政府がよほど真剣に取り組まなければ解決されない問題になってくるということだ。

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