菅改造内閣は挙党一致内閣ではなく小沢つぶし内閣

  • 2010/09/17(金) 17:51:38

 民主党を応援していたが、やめようと思う。といってどの政党を応援しようという気にもなれない。改造内閣が発表になったが、テレビなどで小沢攻撃をしていた菅派の片山善博元鳥取県知事が総務大臣となり、これで菅内閣の特捜部・検察審査会で小沢起訴の布陣となったことがはっきりした。

 小沢派の原口総務大臣から菅派の片山大臣に交代させ、検察審査会に備えたシフトを敷いたといえる。私自身検事総長の記者会見を聞くまで、検察審査会は法務省の管轄だと思っていたが、特捜部は、総務省の管轄だという。大林検事総長も検察審査会でどのような質問がされたとか、どのようないきさつで結果が出たかなどほとんど知らされない。結果のみ知らされるという。

 総務省の管轄だというのには驚いたが、審査会を睨んで小沢支持をあきらかにしていた原口大臣をはずし、菅派で小沢攻撃をしていた片山大臣にして、小沢氏の政治生命にとどめをさそうというのであれば、この内閣、同じ党員を守るのではなく党内から追い出すための内閣だといえる。

仙谷・枝野という選挙大敗の責任をとるべき立場にあるはずの者があいかわらず重要ポストに居座り、配置換えをしただけで、挙党一致内閣とは思えない。

 それにもまして、国家公安・消費者・少子化を岡崎トミ子大臣がやるというのはどうだろう?国家公安と消費者・少子化担当の組み合わせというのは、奇異に思えるのだが。

およそ期待できないこの内閣もまた、仙谷内閣なのだろう。菅さんは、いつも何かにのっているだけで、実権を握っているのは仙谷由人であろう。


上記映像の28分21秒の所から(←クリックでその時間から始まります)

1時間02分33秒・1時間17分15秒
(個人会員の石山さんの質問は、私達の聞きたかったことです。)からの所も聞いて欲しいと思います。


http://www.asyura2.com/10/senkyo94/msg/686.html


菅沼堅吾日本記者クラブ企画委員(中日新聞・東京新聞):

 私の方は、検察の代名詞でもある特捜部のありようみたいな話しで、裁判員制度、及び検察審査会の制度のありよう、記者会見のありようみたいな、三つの柱で最初に代表質問をしたいと思います。

 東京地検特捜部の話しですけれども、大袈裟に言えば少し前までは国民の多数は(検察の)その捜査の事を正義と考えていたような気がするんですね、しかし小沢事件を契機に検察の正義に対する信頼が揺らいでいるようにも感じる。捜査手法への批判とか不信があるのではないか。これに対して総長はどの様にお考えか最初にお伺いしたい。

 
大林宏(第25代検事総長):

 まあ具体的な事件が最初から出てきましたけれども、いわゆる小沢事件につきまして秘書の方を起訴して小沢さんについては嫌疑不十分の処分がなされました。色々マスコミ等に記事が出ている事を私ども承知しておりますけれども、嫌疑不十分となったと言う事については先ほども出てきましたけれども、公判請求し有罪を取ると言う私たちの伝統的な考え方からしてそれに足る十分な証拠がなかったというそれに尽きると思います。色々な記事が出されておりまして、色々な観測と思われるような事もありますけれども、基本的にはそういう風な結論をしたと言うのは証拠判断以外の何ものでもないという風に思います。

 まあ捜査手法の問題等については、まあ捜査の中身に触れる事ですからちょっと私の立場から申し上げる事は出来ない訳ですけれども、確かに色々なご意見があると、えー、まあそれは時代の背景でもあるかも知れませんし、あるいは事件の性質そのせいか色々な事から、何と言いますかねご批判を受ける、まあそう言う時代かなぁと。

 ただし先ほども申し上げたとおり私としては厳正・公平と、法と証拠に基づきと言う形で検察は今後ともその職務を果たしていくと言うそう言う認識においては一致していると言う風に思いますのでまあ後はその事件の証拠関係色々あるでしょうからそれによって結論が出る話しでありまして、まあその特捜部の能力云々とかそう言う問題は僕は直接関係ないと思いますし検察の正義が変わったと言う風にも認識はしておりません。

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敬老の日のお祝い と 私のPTSD

  • 2010/09/17(金) 11:56:17

 昨日は、妹から母の薬をもらいにいくついでに、敬老の日のお祝いをしようという電話があり、出かけていった。

母の家に寄り、診察券をもらって病院へ行き、私は車を停めている間に妹が薬をもらい(診察がなく薬だけなのですぐ済むかと思ったらかなり混んでいたという)、母を家に迎えに行って、食事に出た。

田無にある「木曽路」で、木曽路御膳というランチを頼む。値段の割にはボリュームがある。(1500円)


デザートもついていて、お腹いっぱいに。

私は、帰るつもりでいたのだが、妹が母の家に用があるというので、母の家に再び行く。母が私たち姉妹を置いてこの実家へ帰ってから宗教にのめりこんだこともあって、私も妹も母の家に行くのはよいが母の家の塀にはってあるある政党のポスターを見るとどうしても抵抗がある。母はそれを生きがいにしてきたかもしれないが、私たちにとってはどうしても母を奪ったように思えてしまう。これさえなければ、もっと気持ちよくこの家に入れるし、母との同居についてのハードルもそれほど高くないのにと思う。

 母は、デイサービスに行くようになって、とても元気になって、私も妹も安心だけれど、母がどんな人たちといると幸せなのかを思うと、これからのことで不安もある。 

まあ、久しぶりにご馳走を食べ、母も喜んでくれたし、何より母の楽しくすごせる場がみつかり母の生活にもはりができ、何よりだと思った。

私は、PTSDで今だに苦しみ、特に「松本」「レモン」という名を聞いたり、見たりすると過去のいやなことが思い出され体が震え、精神的に不安定になる。だから選挙のポスターなどその名のが張ってあると、その近くを通れなくなる。倒れるのではという不安に常に襲われる。

仕事をしていた26年苦しみの中で我慢してきたため、やっとその苦しみを話せる人ができたとたん、その名をきいただけでいやだということが言えるようになり、自分がPTSDだと認めることができるようになった。さすがに、その名がいやだとは人には言えないが、まだすっかり苦しみが消えるまでには長い年月がかかるだろう。

 このように、他の人には何でもなくても卒倒するほど他の人には思い出されていやなものもあるのだ。

今、母の家に行く途中通る最近できた「マツキヨ」の前を車で通るだけで、体が震え、不安定になる。他の道をと思っても他に行く道がない。それだけで汗びっしょりになる。

 今、やっとこの苦しみをわかってくれる人ができて、やっと救われつつある。

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