11 日航機墜落の真相は? * 高浜機長の技量と安倍説

  • 2009/11/19(木) 23:37:20





「(新)日本の黒い霧(セミナー開催報告10月15日)」には、墜落日航機の高浜機長についての記述があります。

http://blog.goo.ne.jp/adoi/d/20091015


 
『セミナー翌日の10月11日(日曜日)、正午前に千葉県内を自動車で移動していたところ、海上自衛隊の対潜哨戒機 P3C が、サーチライトを点灯しながら美しい3機編隊を組み、低空飛行で上空を通過して行くのを目撃しました。ちなみに、この編隊飛行は非常に高い技量を要求するものです。

思い返せば、123便の高濱機長は元海上自衛隊の対潜哨戒機 P2J のパイロットであり、その腕前も5本の指に入るほど優秀なお方だったと聞き及んでいます。

本ブログでは、高濱機長のとった懸命の撃墜回避行動についてまだ触れていませんが、機長が元自衛官パイロットとして最高の判断と技量を示したことを先に皆様にお伝えしておきます。機長のこの奮闘があったからこそ、今に至っての真相究明が可能になったと言えるでしょう。

ただ残念なのは、結果的に悲劇は避けられなかったことです。おそらく機長の魂は今もそこに留まり、多くの犠牲を出したことに苦しみつつ、私たちに真実の究明を訴えかけているに違いありません。

高濱機長の任務は事故から24年を経過した今も続いているのです。この辛い任務から一刻も早く解放して差しあげるためにも、1人でも多くの日本国民に真相を伝えていかなくてはならない、1人でも多くの祈りを届けなければならない、そう思いつつ、私の真上を飛び去る3つの大きな機影を目で追っていました。』



また、作家 安倍譲二氏は別冊「宝島」の中でこのように述べています。

「陰謀でもなく、日航機は撃墜されたとしか思えない」 日航ジャンボ機墜落事故(1985年)特別インタビュ―◎安部譲二 

http://www.asyura2.com/0601/bd45/msg/454.html

投稿者 黄昏時のパルチザン兵士 日時 2006 年 8 月 14 日 14:16:23: WCbjO5fYf.pMQ

ボ―イング社の修理ミスによる圧力隔壁の亀裂、急激な空気の流入による尾翼破損、操縦不能で墜落。これが最も知られている520人の命を奪った大事故の原因である。

全てが公開されなかったボイスレコ―ダ―、二転三転した事故調査委員会の文言・・・・・・・。事故から21年、まだ謎は解けていない。


作家・安部譲二氏は日航機の客室乗務員だったという時代がある。単発エンジン小型機の操縦免許も持っている。

その安部氏は1985年、日航ジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に墜落した事故を、事故ではなく、事件だと確信している。

著書、『日本怪死人列伝』(02年、扶桑社文庫)で安部氏は、<無残に撃墜されたのだ>と断言している。



85年8月12日、羽田発大阪伊丹行きの日航機123便、ボ―イング747型機が墜落して520名という航空機単独の事故としては史上最大の被害者を出した。飛行機事故の歴史に残る大事故である。

この事故には、当時から数多くの疑問が投げ掛けられていた。
「墜落した日の夜中に日航のスチュワ―デスをしていたおばさんから電話があってね。日航のイチニイサン(123)便が犢塋不明瓩蚤臍ぎになっている、って言うんだ」

事故発生の時点で安部氏は首を傾げている。
「だってね、あんな大きい飛行機がいなくなっちゃったって言う。85年でしょ。その頃は日本全国、軽飛行機ですら行方不明になるなんてことはあり得なかった」

安部氏によると、この時代には米軍のレ―ダ―サイトが張り巡らされ、自衛隊のレ―ダ―監視網も日本の全ての空域をカバ―していた。さらに空港の管制塔はエリアごとにすべてをフォロ―していたという。

JAL123便を示す影が管制塔のレ―ダ―から消え、機体の消息を絶った、とされているのは18時56分。18時18分に羽田を離陸した約40分後である。18時24分に123便は緊急事態を告げる爛好魁愁・セブンセブン瓩箸いΕ汽ぅ鵑鯀っている。

このサインを送る直前、123便は操縦能力をほぼ完全に失い、関東上空を迷走したうえでのレ―ダ―からの消滅だった。

「行方がつかめなくなった末にどこに墜ちたかわからない、(自衛隊、米軍の防空能力が)そんなことだったら戦争なんかできないでしょ」

機体の発見まで長い時間がかかったことは事実である。国民はやきもきして臨時ニュ―スを夜通し流すテレビを観続けた。埼玉県と群馬県の県境にある御巣鷹山の山腹で123便の残骸が発見されたのは翌日の9時である。消息を絶ってから13時間が過ぎていた。

たしかにこれでは、例えば国籍不明機が侵入してきても、いったん機影を失えば半日間は発見できない可能性がある、というのに等しい。


★すべて公開しない謎

事故そのものが不測の事態だから、思いもつかぬことが重なって混乱したということは考えられるが、航空機事故という大事に、いったいこんなことがあり得るのか。

ともあれ、安部さんは事故発生のその日から深い疑問を抱く。

「その頃は、もう知っている人間は乗っていなかったけど、飛行機乗りってのは、(事故には)敏感なんですよ。まだプロペラの時代だけど、昔『木星号』という旅客機が墜ちた。大島の三原山に墜ちたんだけど、マスコミには相模湾に墜ちたとミスリ―ドして引きつけておいて、そのあいだに何かを回収した。ああ、またやってるなと」(略)

航空機事故で、事故原因の解明にきわめて重要な役割をもつのが操縦席の会話を録音したボイスレコ―ダ―だ。後年、テレビで123便のボイスレコ―ダ―が公開された。

「聴きました。それでプライバシ―に関わることなので一部は公開しないという。あれは犯罪じゃないですか」

安部さんが言う通り、ボイスレコ―ダ―の全ては公開されていない。
「520名が亡くなった事故だよね。コクピットで何を叫んでいようと、たとえ『お前のかあちゃんと寝た』と叫んでいようとも、公開しない理由にはならないでしょ」

テレビで公開されたのはダビングしたものだが、オリジナルは他の資料といっしょにすでに廃棄処分されている。

航空事故調査委員会はこの事故をボ―イング社の修理ミスに起因するものと結論ずけたが、当時からこの結論に疑問を呈する声、真っ向から否定するものは多かった。

事故調―――航空事故調査委員会が報告した事故原因を簡略化してまとめてみよう。

1、 該当の機体は事故の7年前に伊丹空港でしりもち事故を起こして客席と機体外壁を隔てる「圧力隔壁」が破損した。

2、「隔壁」の破損を米ボ―イング社で修理したが、修理ミスがあった。

3、以後の飛行による劣化で、事故当日、修理ミス部分から「隔壁」に亀裂が入った。

4、気圧差でその亀裂から客席の空気が吹き出し、圧力で尾翼を破損させた。

5、尾翼の破損で油圧系統がすべてダウンし、操縦の機能も失われた。

6、迷走の果てに墜落。

ということである。いったいそんなことで尾翼が吹き飛ぶのだろうかという疑問はあったが、事故調支持の学者は材料工学などを駆使して、「あり得る」とした。


★急減圧はなかった

であるとしても、そこには強烈な空気の移動があったことが前提になる。繰り返し議論になっている客席の「急減圧有無論争」である。

急減圧とは、どういう事態なのか、急減圧が起きたら、機内はどうなるのか。

「僕は、急減圧を経験したことはありません。だけど急減圧に対する訓練ってのはね、乗務員が不時着水よりも時間をかけてやることなんです。だからパイロットは急減圧があったら、それこそ急減圧のキュを聞いたら(酸素マスクが)落ちてこなくても落ちても反射的に手を伸ばすものなんです。

客室には客席分の酸素マスクのほかにバゲッジに10メ―トルごとに携帯用の酸素ボンベがあって、乗務員はとりあえず酸素を確保できるようになっているんです」

事故調は急減圧があったとしたうえで、パイロットが酸素マスクを装着しなかった理由については「不明」としている。

だが安部さんによると、あの高度、メ―トルで推定6000から8000くらいで急減圧があった場合であれば酸素マスクをつけなくても操縦は可能だという。

「エベレストの高さで酸素マスクをつけずに登ったって言う、それと同じでそれほどの高々度ではない」

しかし高度にかかわらず、エンジンの出力だけを操作して困難な飛行を数十分も続けることは超人的な技能なのだ。

生存者のひとり、客室乗務員の落合由美さんの証言は、どう解釈しても急減圧はなかったことを証明している。落合さんは急減圧を感じなかったと事故後の調査で証言している。繰り返し急減圧の訓練を受けている乗務員の彼女が、実際にはあった急減圧をなかったと勘違いすることはあるのだろうか。

それはあり得ない」(安部氏)

酸素マスクを装着していた遺体はひとつもない。

これらのことから、日航の従業員組合の組織、日航乗員組合連絡協議会は「急減圧はなかった」と結論したレポ―トを発表している。

だが事故調は急減圧があったと報告をまとめ、運輸省に提出し了承されている

「事故調は急減圧はあったと言っているけど、どっちが正しいかと言うと100対0でこっち(日航乗員組合側)が正しい」



★修理ミスを認めた理由

事故調を支持する側の学者は、すると急減圧はなかったが、ゆるやかな減圧はあったのだとした。

しかし急減圧がなかったのなら、事故調が報告した隔壁の亀裂そのものが疑わしくなり、尾翼が急激な気圧で吹き飛んだという説が成り立たなくなるのである。つまり事故調の報告はまったくの虚妄ということになる。

「ボ―イングが、ずいぶん早くにまず修理ミスから圧力壁の破壊と言いだしたんだよね」

どうしてボ―イング社が、修理ミスを早々に言い始めたのか。ボ―イング社がそうする必要がどこにあったのだろうか。

「今、日本ではダグラスとかほかの社の飛行機はほとんど飛んでいないじゃないですか」

幹線を主にして、確かにボ―イング機がほとんどである。

「当時の日本の航空会社のトップはボ―イングっていう名前にアレルギ―があったんですよ。ボ―イングのB29からB17にさんざん爆撃されたからね。聞くのもイヤな名前で、だからダグラスばかりだったんです。

その隙をついて、ロッキ―ドとか売り込みにきて、ボ―イングは大苦戦だったんですよ」

戦後、日本の民間航空を再建したのは、旧陸海軍で航空に携わった者たちだった。

こうして日航、日本政府に貸しをつくったボ―イング社が、のちに日航をはじめとして日本の民間航空機の市場を制したという。

日航乗員組合連絡協議会の元日本航空のベテラン機長、藤田日出夫さんは、尾翼が壊れた原因として『新潮45』(00年8月号)で「フラッタ―説」を書いている。

フラッタ―とは、分りやすく言えば細かい震動である。航空機の場合、旗がはためくように震える現象を指し、機体の破壊につながる。

「藤田さんは、僕みたいな小説家と違って、専門家として冒険ができなかったんです。思うことはあったとしても、パイロットの立場としてはいえないことがあるんでしょう」

藤田氏は、ボ―イング機の構造的な欠陥によってフラッタ―が起こり、尾翼が破壊されたと、わずかな行数で遠慮がちに指摘している。

「航空機の尾翼は、戦闘と、(衝突の)事故以外で壊れたことは、プロペラ時代も含めて、ライト兄弟以来、一回もないんですよ。それくらい尾翼というのは堅牢な中でも堅牢なものなんです」

では安部氏が主張する事故原因、尾翼破壊の原因とはなんなのか。

それは、自衛隊の無人標的機が123便の尾翼に衝突して破壊したのだというのだ。

事故当時、新造された護衛艦「まつゆき」が相模湾で試運転中だった。その「まつゆき」艦上からテストで無人標的機が発射され、123便の尾翼に衝突した、というのである。

「ぶつけたんじゃなくて、ぶつかってしまったんでしょ。標的機はジェットエンジンで高速で飛ぶものだから、当てようとしてもなかなか当たらないものだそうです」


★民間機相手の訓練

この説を主張しているのは安部氏だけではない。
「雫石のあとでしょ。あの時は自衛隊機が全日空機を相手に戦闘訓練を勝手にやってて、それで後ろから突込んじゃった」

雫石事故とは71年、全日空機のジェット機727型機に航空自衛隊のF86F戦闘機が衝突した事件である。この時、自衛隊は全日空にも管制にも訓練を報せていなかった。

この時、ある疑いがもたれた。自衛隊機が民間機の全日空機を敵機に見立てて戦闘訓練をしていて誤って衝突したのではないかという疑惑である。

乗客乗員162名が死亡。この時は航空幕僚長の辞任で収まっている。運輸省管轄の航空事故調査委員会はこの事故をきっかけに誕生している。

日航機事故の当時は第二次中曽根内閣。中曽根康弘が内閣総理大臣、航空を含めた運輸行政を司る運輸大臣は山下徳夫、防衛庁長官は加藤紘一、内閣官房長官は藤波孝生だった。

もし安部説が正しいとしたら、この日航機事故の情報はどこまで上がっていて、誰が処理に関する全ての決定権を持っていたかということだ。
「それは中曽根でしょう」

安部氏は言う。

自衛隊機が民間航空機を仮想の敵機として訓練することは今もあると安部氏は睨んでいる。

「僕がいたときはしょっちゅうだった。米軍機だけだよ。やんないのは。ほかの国は日本を含めて予算がないから、民間機を相手に訓練するんだよ」

無人標的機が衝突したという話を最初に聞いたのは、いつ、どういう機会だったのか。

「いつだったかな。日航の仲間からだったと思うけどね。彼らが自費で船を調達して、発見されなかった尾翼の部分を探しているって聞いた時かな。見つからなかったけどね。もうとっくに海上自衛隊が回収したんでしょう」


★撃墜された日航機

安部さんは123便が山に向かって北上したことにも、疑惑を抱いている。
「機長は大阪行きなら、もし伊丹空港での着陸がなんかの事情で不能になったら、すぐ代わりにどこに着陸するか考えるものです。

123便は相模湾上空でなんだかわからないけどアネ―ブル・コントロ―ル(操縦不能)になった。あの場合、海に不時着することを考えるのが普通なんですよ」

操縦席では尾翼が壊れていることはまったく分かっていない。

「分かっていてもいなくても、操縦不能なんだから」

123便が海に向かわないで陸地に向かった理由は何だったのか。

「僕はね、最終的には撃墜するためだと思いますよ。本ではそこまで書けませんでしたけど。123便の操縦士は横田か福生に降りようとしていたと思うんですよ」

123便は海ではなく、山の方に故意に誘導されたと安部さんは主張する。では123便はいつ、どこで撃墜されたのか。

御巣鷹山近くの複数の住人が、123便が炎をあげて墜ちてきた、光るものが飛んできたと証言している。

例えば123便が機体を安定させようとエンジンを操作し、最大のパワ―でジェットエンジンを噴出したとして、その排気を炎と見間違えることはあるのだろうか。

エンジンからの排気、または金属の機体が折りからの夕日を反映したということも考えられはする。検証をせずに123便に炎があったと断じることは危険である。が、そういう目撃談があることは事実である。

「自衛隊の浜松基地から2機の戦闘機(F14)が発進してるんですよ。どの時点で撃墜するためのミサイルをぶっ放したか、僕は分かりません」


★NHKが故意に誤報した

自衛隊が、ダッチロ―ルで飛行している123便をなぜ撃墜する必要があったのか。

「あの機体が横田でも福生でも羽田でも、もしあのまま着陸してしまったら、内閣、吹っ飛びますよ」

安部さんはNHKが墜落地点を故意に誤報したとしている。NHKは翌日の朝まで墜落地点を長野県北相木村と報じた。これは報道陣をはじめとした人間たちを故意に違った地点に導くためだったとしている。

御巣鷹山は群馬県上野村にある。上野村の当時の村長は黒沢丈夫氏だった。のちに御巣鷹山に慰霊施設をつくり、登山道を整備した名物村長である。海軍兵学校を出た黒沢村長は戦争中は零戦のパイロットでミッドウェイ海戦にも出撃した勇士である。

その黒沢村長が飛行機乗りの経験者として村民の証言などから墜落地点を御巣鷹山だといちはやく推理している。

のちにある座談会で、事故対策室や日航、自衛隊が墜落地点をなかなか特定できなかったことに疑問を呈している。

安部氏は言う。
「(NHKを使って)積極的にミスリ―ドしたことは間違いありません。

それは、無人標的機の残骸と、最後に123便にとどめを刺したミサイルの残骸とそれに傷つけられた機体を回収するためです。

シコルスキ―(自衛隊の大型ヘリコプタ―)を持っていってすぐ、生存者よりもなによりも早くそれを回収するため行ったんです。

なにかオレンジ色の大きなものを釣り上げている写真を新聞社か週刊誌は持っていたはずですよ」

オレンジ色の部品は123便にはない。無人標的機の塗装色である。

当時、日航の大株主は日本政府である。35%の株を持っていた。

「日航ってお役所でしょう。僕の経験では、日航は政府にまるで頭があがらんでしょ。だって運輸省の下部組織みたいなものだったんだから」

安部氏は日航機事故をもう一度書きたいと言う。

「全日空にも日航にもエライさんに知っているのがいるんだけど、みな日航機事故のことをいうと黙るんだよね」

日本のマスコミは本当のことを言わないし書かない、調べようともしない。
「だから、本当のことを言い続ける僕の仕事がなくなることはない。日航機の事故は必ず書く。これはライフワ―クだと公言しているんです」



別冊宝島1324  
昭和・平成日本「怪死」事件史 犁刃任了爿瓩ら見える日本の「闇」と「タブ―」』

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政権交代後の連立政権政党の仕事ぶり

  • 2009/11/19(木) 15:01:08




 政権交代から二ヵ月半が経つが、民主党はよくやっていると思う。

今までの政治から国民のための政治へ変えようとし、しかも国の借金をできるだけ抑え未来への負担をなくすための連日の仕分け作業。

国民から行っていることが見えるように公開にしているために、それだけ批判する側にとってみれば批判しやすいだろう。

はじめてやることだから、不備もあるだろうし、うまく進まないこともあるだろう。

国が借金せずにいられるような経済状態ならば、どんどん予算に計上して、仕分け作業などせずに進めることもできるだろう。

今までの自公政権の間に国の借金は膨らみ、しかも国民の貧困率は世界第四位、ひとり親世帯にいたっては世界で最も貧しい国だという。

収めた年金をはじめとし、日本国民のお金はどこに行ってしまったのだろう?

マスコミはこの国民のために努力している人たちに鞭をあて、またもとの政権に戻そうかのような報道をしている。

テレビを見ていると国民の生活が逼迫していることなど、テレビの制作に携わる人やキャスターにはわからないのだと思われる。

仕分け作業がたった一時間で結論を出すとか、財務省のつくった冊子にすでに「廃止したほうがいい」と書かれているから財務省主導だとかそんなことばかりを攻撃している。

各大臣にインタビューして、閣内不一致だとか。

今、はじめての試みを迫る時期の中で国民のために一生懸命やっている足をひっぱっているのはマスコミで、政治の停滞からやっと動きはじめ日本の政治の失われた信頼が回復され世界中が注目しているときに何を言うのかと思う。

各省庁で協議し、各省で削減し、議論した結果の仕分け作業で、それにも一時間かけている。

つくったのは財務省だとしても、これまでよりはずーと政治家が議論し、政治家主導で責任を持とうとしており、ただまとめたのが財務省だから財務省主導とはいえない。

大臣の立場では削れないものでも、国民から見れば天下りの温床としか思えないものもある。

箱物といわれる施設さえつくってしまえば国民の税金をどのように使おうがそんなことは気にもしないような生活に困らない天下り役人の温床となっていたのが、

仕分け人から厳しく問われてそれが貴重な税金であるということに少しでも気づき、いい加減な税金の使い方ができなくなるのなら、それはそれで意味のあることであると思う。

はじめての仕分けだから今年はこれでいいと思うが、来年はできるだけ税金でつくられ運営している施設には抜き打ちで定期的に行き、査定までにはっきりとした判断ができるようにしておけばよいと思う。

国民の税金の使い道をふるいにかけて、どうしてもというものにだけ税金をかけるためには、厳しい仕分け作業はどうしても避けて通れぬ道だと思われる。

オープンにしているから批判もしやすいだろうが、はじめての取り組み、来年以降はこのように進めたほうがよいというような意見があったとしても、なぜもうすこし軌道に乗るまで暖かく見守れないのだろうか?

それでいて、議員になったばかりの小泉ジュニアをニュースのトップにもってきたり、政界を動かすほどの内容でもないのに、ただ親の七光りというだけで初めての国会質問がニュースとして取りあげられるなど、日本のマスコミの価値基準はどうにかしているとしか思えない。

芸能人のような政治家しか好意的に迎えられないのなら、ニュースやマスコミの果たす役割もおのずと限られてくる。マスコミの果たすべき役割は何なんだろうかと考えてしまう。


 
 民主党の大臣や亀井郵政・金融担当大臣の仕事をしている様子はよくわかるが、連立を組んでいる福島少子化担当大臣の仕事がみえてこないのは気になる。

日本が外交などお金での援助によるところが大きい。兵を送らず経済援助するためには、それにかかる税金がいることになる。

このまま少子化が続き税収がなくなっていったり、リストラなどによる無収入者や生活保護世帯が増えると、日本の経済そのものが成り立たなくなる。

 そういう意味で、少子化対策は最も重要で、それだけ社民党の福島大臣がどこまでやれるかと期待と好奇の眼で見られていることは間違いない。

ところが、大臣就任後、これからこのようにやっていくとかというような報道もされないし、長妻厚生労働大臣が保育所を視察し、現場に行って働く人の声を聞いていたりするところがテレビで放映されたりするのに、ちっとも活動している様子が知らされない。

製品に事故があったときに消費者担当大臣としてインタビューに答えているところとか、民主党の仕分け事業に苦言を呈すコメントを言っているところとか基地問題で意見を言っているところしか報道されない。

どれだけの仕事をしているのかわからないが、でてくるのが民主党に苦言を呈するところだけだと国民はあまりいい気がしない。

社民党に投票した人の中には、民主党に入れたいし勝つのもわかっているけれども民主党を勝たせすぎてはブレーキをかける者がいなくなるからという理由で社民党に入れた者もかなりいるはずだ。

している仕事が国民に示されず、連立を組んでいる民主党を上から眺めて論評しているところばかり見せつけられると、あまりいい気はしないし、社民党そのものの存在価値がなくなってくる。

共産党と同じように野党のスタンスしかとれないのかと思う。

国民は仕事として見せてもらいたいし、批判に耐えながらも国民のために現地へ赴き不眠不休の状態で政権交代後がんばっている民主党とどうしても比べてしまう。

民主党政権が軌道にのって世界の国々から日本が信頼をとりもどせるようにと思うと同時に、マスコミの報道のありかたにもまた再考を望みたい。

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オバマ大統領へ   アフガンから撤退して世界平和を

  • 2009/11/19(木) 13:57:04





 一瞬にして、日常の幸せが奪われる。

あの日航機事故により、息子家族も孫も奪われ、たった一人残されて世捨て人のように生きる老人。

海外出張で単身赴任中に妻子を事故で亡くし、ひとり残され、悲しみと絶望の淵から遺族会会長として事故原因の究明しようとする男性など、「沈まぬ太陽(御巣鷹編)を読んだ時、520の命が失われるということはそれだけの家族の生活とその家族をとりまく親族の人生も失われていくのだと思った。

昨日までにぎやかに食卓を囲んでいたそのにぎやかさがない。息子夫婦や孫たちとすごしたり、親子けんかしたあの時が再び訪れることはない。

たったひとり残された者の悲しみがこの作品の随所に感じられる。

 
 この悲しみは日航機事故だけにいえることではない。戦争により亡くなった家庭にもいえることである。

戦争のない平和な21世紀が訪れるはずだった。しかし、やはりこうしているときも世界中のどこかでは、この日常の幸せが奪われている。

アメリカは、軍需産業によって経済が成り立っているから、どうしても戦争をして経済を成り立たせなければならないのかもしれない。

だから戦争をなくすことなどアメリカには無理なのだと思っていた。

ブッシュ大統領の父親が軍需工場を経営していたから、この間のアメリカはどんどん戦争をして儲けることが国策となった。

経済もそれに依存していた。

そしてそれを維持するために、戦争で亡くなることは英雄だとした。もうアメリカはこの戦争中毒から抜け出すことはできないとずーっと思っていた。

アメリカの人々の命を、幸せな家庭を失わせないためにできることはないのかと思っていた。


そんな時、オバマ大統領が現れた。政権が変わった。

そして私は耳を疑った。アメリカが核廃絶と世界平和のために行動すると世界中に向けて発信した。

誰もが今まで思っていても実行できなかったことを世界レベルでやろうとしている。

あのプラハ演説。広島・長崎の被災者も平和の礎として報われるかもしれないとやっと思えた。世界中の人がこれを支持し応援しようとしている。

 
 今、アフガンが増派問題で揺れている。共和党は勿論民主党内からも増派を望む声があがりはじめている。

また、ベトナムと同じことが繰り返される。泥沼にはまり込み、抜け出せず、多くの命が失われていく。

失われた命が帰ってくることはない。

オバマ大統領を支持した米国民、世界中の人、平和を望む人々の気持ちをかなえられるのはオバマ大統領の決断しかない。

撤退することで、アメリカ国内で窮地に立たされるかもしれない。

でも、オバマ大統領は一人ではない。勇気ある決断をして国内で孤立しても多くの世界中の国をこえた人々が支えていくはずだ。

戦争をするのは誰にでもできるけれどやめさせることのできる人はそんなにはいない。

これができるのは、オバマ大統領あなただけです。


 アフガンにもその土地に暮らす人がいる。普通の幸せな家庭があり、かけがいのない命がある。

日本の民主党がめざしているように、テロに走る人たちを貧困から救い、民生支援することで戦争をなくす方向へ、いっしょに進んで行くことはできないだろうか?

 今、世界中の人が「バラク・オバマ」の決断に注目している。

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