10 日航機墜落の真相は? 1* 墜落時の政府首脳の対応

  • 2009/11/18(水) 00:37:10


 

「INTEC JAPAN BLOG 」によると、この事故当時の行動についてはこのようにまとめられている。

 『それでは、そのとき政府首脳はどういう行動をとっていたのでしょうか。JAL123便には、500人を超える人が乗っているのです。

その飛行機が行方不明というのですから、これは政府にとって、一大事です。当然のことながら、中曽根首相に報告が上がり、政府として緊急対策がとられることになります。
 
JAL123便の事故の直前に、英国のマンチェスター空港で航空機事故が起こったときのことです。

当時の英国のサッチャー首相はオーストリアにいたのですが、急遽帰国し、事故現場に直行して指揮にあたっています。
 
それに対して中曽根首相は何をしたでしょうか。
 事故現場が地元の群馬県でありながら、本人は現場には行かず山下運輸大臣にまかせてしまっています。

山下運輸大臣は、事故の翌日、ヘリコプターで上野村を訪れています。
 
JAL123便墜落事故が発生した8月12日、中曽根首相は官邸にはおらず、事故の第一報は、今や有名人となっている平沢勝栄官房長官秘書官が受けています。

平沢秘書官は、直ちに藤波官房長官に連絡を入れています。
 
このあとの政府の対応については、明日のEJで詳細にお知らせしますが、その対応は疑惑に満ちたものであったのです。      ・・・[御巣鷹山事故の謎/24]           


●事件はどの時点で首相に伝えられたか(EJ第1078号)
 
JAL123便墜落事故が起こった8月12日、中曽根首相は身内と一緒に軽井沢で休暇を過ごしていたのです。

そして、軽井沢駅を17時11分に発車する特急「あさま22号」に乗り、東京に向っています。

大宮着18時52分、上野着は19時15分でした。この時点では首相はまだ事故を知りません。
 
18時52分といえば、JAL123便がレーダーから消える2分前です。

18時24分40秒には緊急信号を発信しているのですから、大宮駅で「日航機が迷走中」という情報を首相に知らせることはできたはずですが、首相の耳には届いていなかったのです。

上野に到着した19時15分には事故発生は確実で、「行方不明」になっているのに、ここでも中曽根首相には報告されていないのです。
 
上野駅から公邸まで、首相は自動車電話の付いている首相専用車に乗り、19時47分に公邸に到着しているのですが、車中の時間が約30分もあるのに、首相への報告はなかったとされています。

依田秘書官によると、「行方不明」という情報だけではどうしようもないので、報告しなかったというのですが、不思議な話だと思います。
 
そして、首相は公邸前で待ち受けている新聞記者からJAL123便事故のことをはじめて聞き、「ほぉー、どこで?」と驚いたというのです。

一国の首相が、これほどの大事件の情報を新聞記者からはじめて聞かされるというのは、この国の危機管理体制の欠如を物語っています。しかし、これにはかなりウラの事情がありそうです。
 
昨日のEJでも述べたように、官邸にいた平沢官房長官秘書官には19時頃――つまり、墜落直後に運輸省航空局、防衛庁、警察庁から相次いで報告が入っていたのです。

平沢秘書官は直ちに、藤波官房長官に連絡をとって第一報を入れています。このときは官房長官と連絡がとれたのです。

しかし、それから30分近く連絡がとれず、やっと連絡が取れて、平沢秘書官は藤波官房長官に2度目の報告を次のようにしているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      JAL123便の大坂着予定時間を過ぎました。事故発生は、
      ほぼ間違いないと思われます。大至急お戻りください。
                    ―――平沢勝栄官房長官秘書官
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 そして、藤波官房長官は19時45分に官邸に戻り、すぐその2分後に中曽根首相は公邸に戻るのです。

首相が戻ると、依田秘書官は、はじめて事故の状況を立ち話で首相に伝えます。その間わずかに1分間。

その後首相は19時48分から予定に組まれてあった河本敏夫国務大臣との会談に入っています。
 
実はこの頃、三光汽船問題というのがあって、三光汽船の元社長である河本氏は苦境に立たされていたのです。首相との話はこれがテーマで辞任うんぬんがやりとりされたといわれています。そして、その会議が終ったのは、20時1分のことです。
 
そして20時16分――藤波官房長官と副長官が公邸に駆けつけて、16分間首相とJAL123便事故について報告が行われています。終了したのは20時32分です。
 
その後、官邸の大広間で事故対策本部の初会合が、23時から行われています。しかし中曽根首相がそこに顔を出したという記録はないのです。

そして、翌13日、午前5時30分に就寝中の首相に対して、墜落現場が中曽根首相の出身地の群馬県であることが伝えられていますが、とくに反応がなかったといいます。
 
しかし、以上はオモテの話です。中曽根首相は公邸に着く前にJAL123便墜落事故のことは知っていたと思うのです。それでは、その話はどの時点で首相に伝えられたのでしょうか。
 
事件が起こったとき、首相は東京に向かう特急「あさま」の車中にいたのです。ここで伝えられたとは考えにくいのです。

当時は、自動車電話はありましたが、今のように常時携帯電話を使える状況ではなかったからです。それに、首相のようなVIPは、セキュリティの関係から携帯電話は使用しないはずです。
 
そうなると上野から公邸に向かう車の中しかありません。すなわち、19時20分頃(上野着は19時15分)から、19時47分の間です。

相手は、藤波官房長官であると思います。この時間帯に平沢秘書官は官房長官と連絡がとれていないのです。
 
それでは藤波官房長官は、事故の連絡を何時頃受けたのでしょうか。平沢秘書官からの連絡は午後7時頃ですが、それよりも前に官房長官はJAL123便が墜落するいきさつについて、報告を受けていたと思うのです。

推測ですが、その時間はJAL123便が2機の自衛隊機とやりとりをして、横田基地を前にして御巣鷹山方向に旋回した頃――18時50分前後ではないかと考えられます。

その頃中曽根首相の乗る特急「あさま22号」は、大宮に到着する直前だったのです。
 
それでは報告者は誰でしょうか。それは加藤紘一防衛庁長官しかいないと思います。

2機の自衛隊機からの報告で、JAL123便の尾翼に実験用ミサイルの衝突の跡があることがわかって自衛隊幹部は、横田基地への着陸を阻止したのですがそのことについて、加藤防衛庁長官が首相に報告しないはずはないと思うからです。

そこで、加藤長官は官房長官に連絡したのです。
 
そこで、藤波官房長官は、上野から公邸に向かう車中で首相に報告し、指示を仰いでいるはずです。

その結果、首相はあくまで知らなかったということにし、できるだけ早く幕引きを図ることが話されたと思います。内閣存続の一大事であるからです。

上野から公邸まで異常に時間がかかっているのは、そういう話があったからではないでしょうか。
 
その後の中曽根首相のこの問題への対応は、口では「事故原因はできる限り迅速に徹底的にやらせる」といいながら、事故調からの調査のための特別予算の請求を一蹴するなど整合性がなく事件の隠蔽に全力を尽くしたとしかいえないのです。

そして、首相は最後まで墜落現場には行っていないのです。   ・・・[御巣鷹山事故の謎/25]

2007年09月26日

●賞賛されるべきスチュワーデスの沈着冷静さ(EJ第1079号)
 当時中曽根首相は、記者会見や国会答弁において、次のようにいっていたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
           1.事故原因は徹底的に究明する
           2.人命最優先でことに当ること
           3.遺体の捜索は最後の一体まで
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかし、中曽根首相は、これと正反対の姿勢でコトに当っているのです。


第1の事故原因の究明ですが、事故調査委員会は早期の海底調査を行う必要があるとして特別予算を計上したのですが首相は何のサポートもせず、却下されているのです。徹底的に調査されては困ることがあるからです。
 

 第2の「人命優先」ですが、事故が起きた当日の午後7時過ぎには、どこに墜落したか政府としては分かっているはずなのに、「行方不明」として朝まで発見を引き伸ばしています。

墜落直後には、相当の生存者がいたことが生存者の証言によって明らかになっているのですから、結局は彼らを見殺しにしたことになります。何が「人命優先」でしょうか。「政権維持優先」です。
 

 第3の「遺体の捜索」ですが、事件後9日にして、古屋国家公安委員長は、「全遺体の収容は困難、捜査の打ち切り」を首相に進言し、少しでも早く合同慰霊祭をして、事件の幕引きを図ろうとしているのです。

これに対して、首相は何らリーダーシップを発揮することなく、事故原因は隠蔽されたまま、事件は幕が引かれてしまったのです。日頃リーダーシップを売り物にしていた中曽根氏とは別人のようなやる気のなさです。
 
考えてみれば、中曽根内閣のときに際立って前進したのが防衛問題でした。次期防衛計画、シーレーン防衛論、防衛費の対国民総生産(GNP)比1%枠の撤廃論――こういう動きの中で、日米共同でミサイルの開発が行われたのでしょうが、それがとんでもない事故を起こしてしまったというわけです。
 
何か問題が発覚しそうになると、組織として隠ぺい工作に走る――それが官僚の真骨頂ですが、中曽根内閣もそれと何も変わるものではなかったのです。

もし、真相がEJのレポートの通りであるとすると、国家犯罪そのものです。』

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9 日航機墜落の真相は? *やはりミサイルか?当日の目撃

  • 2009/11/18(水) 00:19:22




「INTEC JAPAN BLOG」(2007年09月20日)もまたミサイル攻撃があったとしています。

『●JAL123便ミサイル撃墜の証拠と証言(EJ第1076号)
 それでは、JAL123便に対して、どのようにしてミサイルが撃ち込まれたのでしょうか。

そのあたりの状況について説明しましょう。
 JAL123便が墜落する前に、次の3機の自衛隊機が周辺を飛行していたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
          F−4EJ戦闘機 ・・・・・ 2機
          F−15J戦闘機 ・・・・・ 1機
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 JAL123便を御巣鷹山方面に強引に誘導したのは、2機のF−4EJ戦闘機です。

しかし、JAL123便に対してミサイルを撃ち込んだのは、あらかじめ、在空していたとみられるF−15J戦闘機なのです。

F−4EJとF−15Jは、ともに米国が開発した要撃戦闘機ですが、F−15JはF−4EJの後継機です。添付ファイルに写真を付けてあります。
 
そのときJAL123便は、何とか山中に不時着しようとしていたと考えられるのです。

山への不時着ですから、ほとんどは絶望的ですが、かなり多くの生存者が出ることも考えての機長の判断であると思われます。

機長をはじめとする操縦クルーは、何が起こっているのかが一番よくわかっていたと思われます。

そのため、1人でも多くの生存者を出したいと考えたのでしょう。
 
 しかし、それを隠蔽しようと考える側からすると、少なくとも操縦クルーは生かしてはおけないと考えるはずです。

そこで、F−15J戦闘機は、JAL123便が稜線を越えて、人目につきにくい山かげに入るのを見極めて、2発のミサイルを発射したのです。

このとき要撃戦闘機とミサイルの航跡を地上から目撃されないように稜線を縫うように実に巧妙にJAL123便の後部にまわり、ミサイルを発射しています。
 ミサイルは、赤外線追尾方式であり、1発目はJAL123便のエンジン部分に命中したとみられます。

ミサイルの爆破エネルギーは機体の前部と中部を貫通し、その付近の乗客・乗員を機内で粉砕したのです。JAL123便は右旋回しながら、火に包まれながら、真っ逆様に急降下したのです。

これを確認して要撃戦闘機は、2発目のミサイルを発射し、とどめをさしています。
 
しかし、JAL123便の最後の様子は、地上からかなり多くの目撃情報があるのです。

墜落事故の翌日、8月13日の埼玉新聞の見出しは、「夕やみに“火の玉”」とあります。

埼玉県浦和市に住む住民と長野県の川上村住民は次のようにいっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      マンションのベランダから西空を眺めていたところ、突然雲の
      透き間から太陽が射すようなオレンジ色の閃光を見た。双眼鏡
      で覗くと両側から青、真ん中から赤い光を発した大型機が北の
      方に消えた。       ――浦和市に住む住民の目撃証言

      
      埼玉方面から飛んできた飛行機が赤い炎をあげ、やがて黒い煙
      を残して南相木村の群馬県境に消えた。――長野県川上村住民

      
      ゴーンという音をさせながら、航空機が低く飛んでいた。長野
      山梨、埼玉県境の甲武信岳方面から飛んできて上空を右に旋回
      して北東の方に行った。まもなくして、雷が落ちるようなバリ
      バリという大音響がし、二度ほどパッパッと光った。そのうち
      ネズミ色のキノコ雲が上がった。墜落したなと思った。
                        ――長野県川上村住民
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 垂直尾翼を破壊されても、エンジンには支障のない飛行機が火を吹くはずはないのです。

しかし、「オレンジ色の閃光」「赤い炎」という証言があり、「パッパッと光る」という証言まであるのです。

ちょうど事故の日に、上野村の民宿に泊まっていた東京の会社員も「神流川上流の山あいがピカピカと二度光った」と証言しています。
 
「パッパッと光る」と「ピカピカと二度光った」については、ミサイル弾がJAL123便に命中したときの閃光と考えることができます。

ミサイルが空中で爆発するときは、ミサイルに装填されている火薬が一挙に爆発するために、空気中の分子と猛烈に衝突を起こすのです。

そのさいに空気と摩擦を起こし、ちょうど稲妻に似た放電現象が起きるのです。それが、ピカッと目撃された閃光と考えられます。

けっして、墜落したときの閃光ではないのです。
 
長野県南相木村中島地区の住人3人の証言に次のようなものがあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      
      飛行機が飛んで行った後から、流れ星のようなものが近くを飛
      んでいるのが見えた。――長野県南相木村中島地区の住人3人
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 ここで「流れ星のようなもの」とは明らかにミサイルの航跡であると考えられます。
 

 機体がミサイルで爆破されたのではないかと思われるもうひとつの証拠と考えられるのは、乗客・乗員の遺体の損傷があまりにもひどかったということです。

 520人のうち、本当にきれいな遺体は10体程度といわれています。
 とくに機体の前部については、飛行機らしい形をとどめておらず、アルミホイルを千切ってばらまいたようになっているのですから、遺体もただの肉片になってしまっているのです。

山に激突したとはいえ、あれほどにはならない――と専門家もいっているの
です。

それでいて、機体後部の乗客・乗員のそれは粉砕されていないのです。生存者も機体後部から見つかっています。
 

 それに機体前部では、歯や肉片といえども遺体が発見されていないケースも多々あったといわれています。

おそらくミサイルの痕跡を示す遺体はすべて自衛隊の特殊部隊によって持ち去られたのではないかと考えられます。・・・[御巣鷹山事故の謎/23]

                      

2007年09月19日
●情報統制の4原則というものがある(EJ第1075号)
 
EJ1063号において、池田昌昭氏の説として自衛隊機によって御巣鷹山方向に誘導されたJAL123便は、自衛隊機の発射したミサイルによって撃墜されたと書きました。恐ろしい仮説です。
 
その痕跡を隠すため自衛隊−−−というより日本という国家がとっくに墜落場所が判明しているのにもかかわらず、「捜索中」ということにして、一晩時間を稼ぎ、その間に現場に特殊部隊を投入して都合の悪いものをすべて持ち去ったのです。

墜落後数時間は、多くの生存者がいたとされているのに・・・です。
 
このようにいったら「そんな馬鹿な!いくら何でもそんなことはあり得ない!」と多くの人はいうでしょう。

当然のことです。私も当初はそう考えました。

しかし、いろいろな資料を調べてみると、「そういうことがあってもおかしくない」と考えざるを得ないことが判明してきたのです。
 

JAL123便の場合、日本の自衛隊と米軍は、巡航ミサイルの共同開発を進め、こともあろうに、日本の上空でその飛行テストをしていたところ、その飛行物体(火薬の入っていないミサイル)が垂直尾翼に衝突してしまったと考えられるのです。
 
それが原因でJAL123便の機体は大きなダッチロールをしながらも、機長は何とか機体を立て直し、横田基地へ着陸態勢を整えたのです。

もし、このまま横田基地に着陸して垂直尾翼の破損の原因がわかってしまったら、自衛隊は大ダメージを受け、内閣は確実に吹き飛んでしまったでしょう。
 
そういうとき国家が何をやるかについては、JAL123便墜落事故以降の17年間にわたる日本国としてのさまざまな対応を見れば、われわれはよくわかっているはずです。

北朝鮮に拉致された日本人が大勢いるのに、長い間に何もしなかった外務省、責任をとることを恐れるあまり、たとえ国益を損なっても、ひたすら省益を守るために汲々としている官僚たち――そういう国家の対応を見ていれば、民間機JAL123便に対して行ってしまった大きなミスを何が何でも隠蔽しようとすることは、残念ながら、火を見るよりも明らかです。
 
国家の情報統制には、次の4原則があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        第1原則:けっして分からないように巧妙に行うこと
        第2原則:核心を衝く情報については即座に否定する
        第3原則:本当に近い情報に対しては徹底無視をする
        第4原則:マスメディアを違った方向に誘導すること
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 第1原則は、当然のことですが、けっして証拠を残さないということです状況証拠でいくらいっても決め手にはならないからです。

そして、人から人へと「意図的」情報を、「意図的」であるとわからないかたちでひそかに流し、状況証拠を否定するよう務めることです。
 
第2原則は、核心を衝く情報が出てきたときには即座に否定しま「そんなバカな!」とか「イイエ、ソンナことは絶対にあり得ない」と即座に一蹴することです。そして、情報源に対して手が打てる場合はひそかに手を打つ努力をするのです。
 
第3原則は、第2原則を実施しながらも真相に近い情報が出てきたときは、徹底的に無視して、そのウワサが収まるのを待つということです。「人の噂は75日」を決め込むのです。けっしてまともに取り上げないのです。

第4原則は、事前に練りに練って作り上げておいたシナリオにしたがって、虚偽情報が節目、節目で登場するように情報操作を行うことです。そして、何種類かのダミー文書を流し、マス・メディアが「違った」ことをするように仕向け、ことを真相から遠ざけるようにするのです。
 

 JAL123便墜落事故に関する情報を分析すると、これらの4原則にぴったりと当てはまるのです。

まず、矛盾が多くある事故調査委員会の圧力隔壁破損説の押し付けがあります。
そして、一部報道機関の事故原因に関する報道の圧縮があり、また池田昌昭
氏をはじめとする、自衛隊関与説に関する主張への徹底的な無視の姿勢も第3原則に沿っています。事件が風化されることをひたすら待っているという姿勢が読み取れます。
 
また、生存者の事故当時の機内状況についての情報の少なさです。大勢の人が亡くなっているのですから、当時の機内の状況を知る生存者の声がもっと伝えられていいはずなのに、最小必要限の情報しか伝わってきていないのです。

これなども生存者に対してその筋から何らかの情報抑制が加わっている――というのは考え過ぎでしょうか。
 
事故の翌日のことです。8月13日付朝日新聞に、「積荷に放射性物質」という記事が出ていたのです。事故翌日の朝刊のメーン記事は、事故現場特定の確認記事です。

読者の一番知りたいのは日の暮れかかった山間部にJAL123便がなぜ行ったのかという解明なのに、どの新聞もふれていないのです。
 
なぜ「積荷に放射性物質」なのでしょうか。記事の結論は、「人体への影響はない」と締められているのですが、あたかも、事故現場への早期立ち入りができなかったことへの言い訳を代弁しているようにも読み取れるのです。
・・・ [御巣鷹山事故の謎/22]
  


2007年09月21日
●火を吹きながら飛んでいたことは事実か(EJ第1077号)
 
 JAL123便が火の玉となって墜落したという証言に対して事故調関係者は、それは山に激突したときの火の玉であるといっているようです。

ことの真相の判断に重要なので、墜落直前のJAL123便の様子を伝える証言を昨日と一部重複しますが、出典をより正確に記述して掲載しておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      「飛行機が飛んでいった後から、流れ星のようなものが近くを
      飛んでいくのが見えた」 ――南相木村中島地区住人3人――
      8月13日付、読売新聞朝刊

      「7時(19時)頃、真っ黒い煙をあげながら、群馬県境の山
      中へ墜落した」 ――川上村鶴田汪さん――13日東京新聞朝刊

      「飛行機が赤い炎を上げ、やがて黒い煙を残して南相木村の群
      馬県境に消えた」 ――川上村中島初代さん――13日朝日新聞

      「扇平山と神立山の交差する稜線の向こう側(南相木村側)に
      消えた。その直後、ピカッと閃光が上がり、続いて炎が燃え上
      がるのが見えた」 ――川上村井上薫さん――『週刊プレイボー
      イ』11月26日号

      「だれかが光るものが飛んでくる、と叫んだ(中略)山の向こ
      う側に真っ赤なキノコ雲が立ち上がった。それは数秒で消えて
      2つ目のキノコ雲が現れた」 ――川上村加藤隆志君――9月7
      日付、毎日新聞朝刊

      「西空をながめていたところ、突然、雲のすき間から太陽が射
      すようなオレンジ色のせん光を見た。双眼鏡でのぞくと、(中
      略)大型機が北の方へ消えた」――埼玉県浦和市吉岡功治さん
      ――8月13日朝日新聞朝刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これらの証言を見る限り、「火を吹きながら」飛んでいたことは間違いないと思われます。

少なくとも山に激突したときの閃光ではあり得ないのです。』
 

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