8 日航機墜落の真相  *「沈まぬ太陽」御巣鷹山編を読んで

  • 2009/11/17(火) 20:43:59

 


「沈まぬ太陽(山崎豊子)」の御巣鷹編は、日航機墜落後の遺族とその人生の有り様を航空会社の遺族係という立場から描いているものです。

凄絶な遺体の検視、事故原因の究明、非常な補償交渉など、読み進むにつれ、航空史上最大のジャンボ機墜落事故が乗っていた520人の人生だけでなく、残された者の人生を変えていくことがよくわかります。

悲しみと絶望にさいなまれながらも、遺族たちは事故原因を究明することにより亡くなった者の命を無駄にせず昇華させていこうと立ち上がろうとしていきます。

戦争と同じように、今まであった当たり前の日常や家庭の幸せが一瞬にして奪われていくことに何ともやりきれない思いを覚えます。

この520の命を無駄にしないためにも、徹底して事故原因を追究することが私達に与えられた唯一できることだと思えるのです。

 私は、御巣鷹山へ行くまでは原因としてでてきている諸説はデマであると思っていました。

行って見て、書いたように言葉では説明できないあの「山のすすりなき」を感じたのです。

今までこんなことはありませんでした。

「何かある」というのは直感です。調べてみるだけ調べてみようと思いました。 

 今なぜこれだけ日航機墜落のことが問題になっているかといえば、それは墜落現場である御巣鷹山の尾根からジャンボ機の残骸だけでなく、ミサイルや米軍機のかなりの残骸が出てくることによるのだと思います。

この尾根やあたりの山は、この事故があるまではトンネルや道路も今のようにはないような所でした。

この事故後遺族が尾根に行くために道路などが整備されたのです。

そんな尾根から日航機の残骸が出てくるのは当然としても、ミサイルや米軍機の残骸まで出てくることが多くの憶測を呼ぶことにつながったのだといえるでしょう。

 「(新)日本の黒い霧」の「そしてミサイルは発射された(3)」では、

 角田四郎氏によるドキュメント「疑惑−JAL123便墜落事故−」は、本事故を語る上で欠かすことのできない資料ですが、その中でも、411ページから414ページに記された「金属片」の一節は、物証に基く証言として注目に値します。私の下手な説明よりご本人の文章を読まれた方が正確だと思いますので、下記に引用を掲載します。

-----------------------------(ここから)--------------------------------
私は8月18日の現場登山の帰り道、偶然一片のアルミ合金製と思える金属片を拾ってしまったことを前にも述べた。

その金属片を米軍の友人に何の説明もせず(日航機事故の件も伝えず)見せた。

彼は航空機の整備を担当している。

彼の答えは、私のど肝を抜いた。「たぶん」と疑問視をつけて慎重に、しかしはっきりとこう言った。
「ミサイル」(This is missile.)
「まさか!」(Not really !)
「たぶん、ミサイル」(Maybe, missile.)

思えば私にとってこの事故に接してから、この言葉は初めて耳にする言葉ではなかった。

最初は山に行く日(18日早朝)車の中で聞いた友人の羽田での体験記である。日航役員が乗客家族につめ寄られて、はきすてた言葉「うちのジャンボは、北朝鮮のミサイルに撃ち落された。

今はそれしかわからない」であった。気にもとめていなかったし苦しまぎれの讒言と思っていたが、日航社内上部には、なにかそんな情報でもあったのだろうか。

二度目にこの言葉を耳にしたのは・・・

(中略:「自衛隊撃墜説を斬る(1)」で否定した「たかちほミサイル説」についての記述)

そして、米軍人の口から三度目の「ミサイル」を聞かされたのである。やや不気味になった私は、その金属片を手元に置かないことにした。

未だその金属片についての科学的検証は行っていないが、すくなくとも吉原告一郎氏の言う「オレンジ色の破片」とは明確に別のものである。

しかし、私は一方でこれは米軍友人の見立て違いだと思ってもいる。何故なら、たとえ事故が国にとって重大な損失を生むからといっても、現実に空を飛ぶ一自衛隊員は我々の近くにいる普通の若者と変わるところはない。

いかに上官の命令であっても一般人が乗っている、民間航空機に向けてミサイルを発射撃墜するなどという行為をできるわけも、するわけもないからである。私はそう信じたいのだ。

他方、では一体あの墜落前の光や後をついていった流れ星のようなものや私の拾得した金属片、そして最後の異常な急降下どう説明すればよいのか、と思い悩んでしまう。

日航123便事故で亡くなった白井まり子さんは、元日航のスチュワーデスであった。その白井さんは遺書の中でこう訴えている。

「恐い・恐い・恐い。助けて。死にたくない、気持ちも悪い。」

恐い、恐い、恐い・・・・。この言葉を彼女はあと幾つ重ねたかったのであろう。

そしてこのものスチュワーデスの味わった恐怖の幾倍か幾十倍の恐怖を、一般乗客は味わったであろうか。

ミサイル説を考えるとき、期せずして白井さんと同じ言葉が胸中をうめつくす。

恐い、恐い、恐い・・・・と。
-----------------------------(ここまで)--------------------------------
引用文の中にはありませんが、角田氏はこの金属片を、岩の後ろに目立たないように置かれた数個のリュックサックの下、それも隠すように置かれているのを見つけて持ち帰ったと証言しています。

またそのリュックの中には着替えが詰まっており、そこから、事故現場で制服を着用している自衛隊・警察・日航技術者等が、実は偽者ではないかと疑念を抱いたことも正直に述べています。

上記の引用部分で、角田氏は「自衛隊説」を前提としているため、「自衛隊が同国の民間機を撃つはずがない」とその複雑な思いを吐露しておりますが、当ブログは「米軍説」、より正確には「米空軍説」に立っておりますので、この点については同様の疑念を抱く必要はないでしょう。

さて、ここで引用文中に挿入された、角田氏が拾い、米軍の友人に渡したとされる件の金属片の写真を以下に掲載します。


写真1:角田氏の拾った金属片

私もこの写真を国際軍事評論家のB氏にお見せして所感を尋ねたところ、B氏は一見して即座にこう答えました。
「あ、ミサイルですね」

また、そう判断した理由については以下のような回答を得ました

・まず金属(ジュラルミン=アルミ合金)の厚さが薄く、強度をそれほど必要としないミサイルの側面に使用されるものと同タイプである

・断片の大きさ、変形状態、燃焼した跡はまさに爆破後のミサイル側面の形状そのものである

ちなみにB氏は公的な軍事情報収集任務経験(これ以上は本人が特定されてしまうので書けません)の中で、ミサイル製造現場や実弾使用現場、整備マニュアル等を実際に目にしており、軍事知識に関しては市販のデータブックには絶対に載らないものまで広範囲にカバーされています。

そのB氏をして、この写真の金属片はミサイルのものに間違いないとのお墨付きを得ました。

実は、前回「そしてミサイルは発射された(2)」で掲載したミサイル弾頭と思われる写真、そしてこの金属片の写真、たったこれだけの材料からミサイルの製品系列までB氏は特定してしまったのですが、その情報については次回以降に説明したいと思います。


■オレンジ色の破片

上記引用部で「オレンジ色の破片」の記述が見られますが、それについては個人で現場調査(※)を行っているS氏から提供された次の写真が参考になるでしょう。今年10月になって現場付近で入手したものです。なお、B氏によると「ミサイル片と断定するには不十分」ということなので、あくまでも参考としてご覧ください。


写真2:S氏の拾ったオレンジ色金属片。オレンジというより赤に近い

※一見しただけでは気がつきませんが、事故現場周辺は厳重な監視下に置かれており、むやみに入山するとたいへん危険です。

S氏によると時々軍用機が谷間を飛行することがあり、それも曇天の日に限られるとのことなので、おそらく軍事偵察衛星で定点観測されている可能性も疑われます。

また、S氏自身が何度も危険な目に会ってます。絶対に軽い気持ちで登らないでください。


■そして、新たなミサイル部品

また、次に掲載する写真は、S氏から提供された現場(第3エンジンの近く)に落ちていた小さな金属片です。円形と四角形の薄片、何の変哲もない部品のようですが、実は、ミサイルが使用されたことを裏付ける決定的なものです。

ミサイルの製造・整備・運用に関っている方なら、どこで何の目的に使われているものか、もうお分かりになったでしょう。

また、10月10日の私のセミナーに参加された方も鮮明に覚えておいででしょう。


写真3:明らかなミサイル部品

もったいぶるつもりはありませんが、その時期が来るまでこの金属片についての当ブログでの解説は割愛したいと思います。

私の思いは過去の記事でも触れたように、何が何でも暴露することではありません。だからといって真実を隠したい訳でもありません。

私は悲劇を導いた当事者にこそ真実を告白し、懺悔していただきたいのです。そして、勇気を持って名乗り出たあなたを許したいと思っています。

日航の経営問題を巡って何やら騒々しいですが、日航職員の心ある皆さん、お願いですから日航機事故の秘密を政治的駆け引きに使うのは止めてください。

この事故はすでに秘密でなくなりつつあります。上の写真以外にも多くの証拠品が見つかり、命を掛けて真実を求める人々の元に届いています。

隠すことにもはや何の意味もありません。しかし、何より先に、人として、事故犠牲者の白井さんの書き残した遺書、そこに残された恐怖と苦しみを理解し、次に何を為すべきかを考えて欲しいのです。

そのための時間をもう少しだけ残しておきたいと思います。




 また、「オバマ大統領訪日に寄せて」にはこのようなことも書かれています。

それにしても、「そしてミサイルは発射された(5)」のRC-130の一件だけでも信じられないと思われる方がほとんどでしょうが、今回の報告はそれ以上に強烈です。しかし、これらは全て物証を元に掘り起こした事実なのです。

少なくとも事故調査報告書に比べてはるかに正確に、当時、御巣鷹の尾根周辺で何が起こっていたかを物語っています。


■何機落ちてるかわからない、米軍ヘリ

以下の写真1は全て、軍用ヘリコプターの部品と思われるものです。あまりにバラバラなので所属等までは判別できませんが、一部についてはベルUH-1H(米空軍)、ボーイングCH-46(米海兵隊)で用いられている部材であることが分かっています。それぞれの部品の説明についてはここでは割愛します。


写真1:軍用ヘリコプターの残骸


写真2:ボーイングCH-46(左)、ベルUH-1H(右)(Wikipediaより引用)


これらの残骸が夥しい数、事故現場周辺に散らばっています。写真を見ればお分かりのように、機体はバラバラです。

もっとも、一部にはレーザーカッターなどできれいに切断した跡のような切り口も見られるので、大きな部品で回収が難しい、時間的に間に合わないものは、現場で切断し、素人には判別が難しい他の小部品に混ぜ放置していったのだと考えられます。

機体の残骸の数、散乱範囲、また、粉々になったロケット弾やミサイルの破片から、米海兵隊、空軍を巻き込んだ凄まじい局地戦がこの地で勃発したことが予想されます。

そういえば、現場に朝4時に乗り込んだM氏も、尾根の上に出た時に聴こえて来るヘリ音を頼りに現地に向かったと証言していました。言い換えれば、現地の谷は深く、山を下ればわずか1,2キロ先の音も尾根に遮られて聴こえない状況であったと考えられます。これでは、麓の村落ではこの出来事に気が付かないでしょう。

しかし・・・ここで記載することではありませんが、アントヌッチ証言っていったい何だったのでしょうか?また、事故調査報告書も何だったのでしょうか?

例え手抜きの調査をしても、これだけの物が見つからない、目に付かないはずがありません。もはや、両者が全くの創作であり、証拠的価値など皆無であることが証明されたようなものです。

日本国民も世界の人々も、この24年間騙され続けてきたと言っても、まだ言い足りないぐらいです。


■本格的な偵察機も落ちていた

先を進めます。この他にも色々な物が落ちていました。


写真3:高品質の部品、測定器の一部他

(1)は'超'が付くくらいの高品質素材で製造加工された、油圧管の継ぎ手部分と思われるものです。

管は2重配管で24年間経過しても全く劣化したようなような痕跡がありません。民間機ではとても採算が合わない高級品です。

(2)はシールド材で、現場に大量に落ちており、おそらく機体内部全面を覆っていたと思われます。電子機材を満載した偵察機の仕様です。

(3)は高度な加工と被服が施されたケーブル。観測ドーム内で位相検波計のセンサーに使用されたと思われます。

(4)は機体破片で、米海兵隊の塗装と所属名の記載の一部が認められます。

これらは人が分け入るのが困難な薮の脇に在り、エンジンや機体破片などはおそらく薮の中にまだ回収されず残っていると思われます。

しかし、これら特殊部品の数々が、偵察機RC-135の装備品であることを示しており、同時に、同機がここで墜落、または撃墜されたことをも物語っています。

所属については写真(4)および状況からB氏は米海兵隊の可能性が高いと言っておられますが、(4)と他の部材との関連は不明ですので、とりあえず所属は不明であるとします(米空軍のものが一般では認知されていますが、同機材は米国4軍で広く運用されているので断定もできません)。


写真4:米空軍のRC-135


■謎の黒い戦闘機

まだまだ出ます。


写真5:戦闘機の機体表面(黒塗装)

写真5は、戦闘機の機体表面と思われる厚めのジュラルミンに直接黒い塗装を施した金属片です。黒色の塗装を施すこと自体がかなり特殊なことであり、その色同様、何か特殊任務を帯びて行動していた戦闘機ではないかと類推されます。

私はこの機体こそ、JAL123便を撃墜した米空軍戦闘機ではないかと見ています(なぜここに落ちているかは後日に)。

なお、特別なステルス加工等は見られないので、よくネットなどで噂されているF19などのステルス戦闘機ではなく、従来型機であったと判断されます。


■その他の航空機

実は、他にも上記に該当しない機材の破片が数多く発見されているのですが、まだ、それらを特定する段階に至っていません。あと2〜3種類はほぼ確実に存在していると予想しています。

そして、その中には謎の黒い戦闘機とはまた別の、おそらく電波吸収材であろうと思われる黒い破片も含まれています。

確実に言えるのは、想像を超えた戦闘がこの地で行われ、多くの米軍用機が墜落・撃墜されたこと。

また多くの死傷者が出たことも想像に難くありません。しかも、驚くことに、その争いが翌日の午前4時ころ(M氏が到着した時間)以前にはおおよそ決着しており、既に回収作業や土砂がけ、隠蔽作業などが始まっていたのです。

なぜ、こんなにも米軍機が落ちているのか?これは異常事態です。

また、首都東京から数十キロ圏内で発生したこれだけの異常を、全く報じない報道機関、事故調査委員会、日本国政府、こちらの方も輪をかけて異常としか言い様がありません。

この事実は私だけでなく、過去に各国軍の偵察機に乗り、戦場を何度も見てきたB氏をも、たいへん混乱させました。

B氏は御巣鷹の尾根一帯を「飛行機の墓場だ」と表現されましたが、見事に状況を言い得ていると思います。

これら証拠物の検証と平行して、B氏とは時間をかけてこの事実について協議検討し、私たちは全体を説明する一つのシナリオに辿り着きました。

次回以降はこのシナリオをブログで提示することになりますが、仮説部分が多くなり、間違いや考え違いも混じってくることは避けられないでしょう。

筋の通った読者からのご指摘は私たちも採用し、シナリオに変更を加えて行きたいと思っておりますが、まずは私たちのシナリオ全体をご確認いただいてから、細部についての修正のご指摘をいただきたいと考えております。

あまりに複雑な要素が絡んでおり、最初から細かいところに留まると、事故(もはや'事変'ですね)の全体像が見えなくなってしまう恐れがあるからです。





 また、「緊急報告」のところには、次のようにあります。

 なぜ、24年たった今頃、こんなに証拠物が出てくるのか?S氏は現地の地質について「周囲は岩の多い山なのに、なぜか事故現場近くは工事現場にあるような土砂ばかり」と言ってました。

これはどういうことか、つまり「事故当時拾い切れなかった不都合な破片は、上から土砂をかけて隠した」ということです。

急斜面と岩の多い山肌、そんな環境の中で、土砂は堆積せず流れ落ち、今頃になって当時の残骸を我々の目の前に晒すことになったのでしょう。

しかし、どんなに回収を進めようと、証拠物はこれからも際限なく出続けるでしょう、また、そのために大人数の公務関係者が御巣鷹の山に入れば、当然何をしているのかを世間に問われます。

もはや、悲劇の計画者たちは最後の悪あがきを始めたとすら言えそうです。

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無農薬・無肥料栽培

  • 2009/11/17(火) 09:03:13

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ベランダのプランターに種を蒔いた「紅白はつか大根」が可愛らしい大根をつけました。

 朝・昼・晩と食べる分だけ採って、サラダにしたりスープに入れたりと重宝しています。

 葉は、ペソも喜んで食べます。

 冬野菜の苗を植えるため、和順庭のミニトマトの植えてあったところを整理して、まだ熟してないミニトマトを沢山とってきてベランダで陽にあてていましたが、やっと見事真っ赤に完熟しました。



ジュースにしたり、トマトピューレにしたりしてお料理に使っています。




今年の夏は和順庭ではあまりならなかったきゅうりですが、ベランダでなぜか今ごろになって元気に実をつけています。



最近友人から「読んでみれば?」と借りた「すべては宇宙の采配(木村秋則)」と「沈まぬ太陽 御巣鷹山編(山崎豊子)」を読みました。




 「すべては宇宙の采配」には「奇跡のりんご農家 木村秋則」というサブタイトルがつけられているように、

林檎農家の道を歩む木村さんの不可能といわれた無農薬、無肥料でのりんご栽培をするために挫折しながらも実現して行く様子がエッセイ風に描かれています。

 無農薬・無肥料栽培に挫折し、自殺しようと山の中を歩き、首をつろうと枝に引っ掛けようと投げた縄があらぬ方向へ飛んで行き、拾い上げたところに野生のりんごが3本立っていて、

誰にも肥料を与えられず、農薬も散布されていないのに害虫に負けることなく堂々とした佇まいで生きている。

 それを見たときに、その根元の土のふかふかでほのかにいい香りがしていることから、この山のような自然の状態をつくればいいことに気づき、畑の土を自然な状態にするべく奮闘します。

 土の中にはバクテリア(真正細菌及び細菌)の世界があり、たくさんの生物がひしめきあって生きているのですが、化学肥料を入れるとバクテリアが死んでしまい、作物の生長が悪くなるためさらに肥料を入れる。

その挙句、土はどんどんバランスをおかしくしていくと言います。

 昆虫や雑草、鳥や野うさぎ、テンやイタチ、りんごの害虫となる蛾を食べるカエルというような食物連鎖、命の循環がある。

それらのバランスがとれだすとやがて巨大なミミズが出没するようになり、そのミミズの糞には土をよくする微生物や菌類が大量に含まれています。

数えきれないほどの種類のいる木村さんの畑は、いわば他民族国家のようなもので

「いろんな種類の人がいるから、どのタイプの人にとっても、すぐに慣れて暮らしやすいのです。国家としての懐が深く、まさに受け入れる土壌があるというわけです。」

「苗にストレスをかけないですくすく育ってもらうためには、たくさんのバクテリアがいる豊かな土を育むことが大事です。」

と言います。

「気づいたのは、自然とともに生きるということは、ただギャートルズのように自然と同化して走り回ることではなく、

『自然を活かして生きる』という考えかた」で、「自然のバランスを知ったうえで、その仕組みに逆らうことなく、自分たちがうまく生きていけるように活かしていくわけです。」

「土のなかに存在しているエネルギー、土が持つパワーをいかに活かすか、人にはそれが許されているだけです。

土に働いてもらうのです。

わたしもむかしは『自分が、畑や自然を、この手で支配してるんだ』という感覚がありました。

効率化を図るために、自然を傷つけるような栽培をしていました。

いまは違います。

『人間も植物も、地球上の生き物のひとつに過ぎないんだ』と思っています。そして、万物の長として『活かして生きる』という考え方を持つことが、とても大事だと感じているのです。」

 臨死体験あり、ユーホー・宇宙人との遭遇ありで、「えー?」と思うような木村さんの実際に体験した内容で面白く読めるのですが、

 この本のカバーに書かれている

「隠れている真実を追究する者だけが、ものごとを成し遂げられるのです。

その過程で味わう桁外れの失敗、噛みしめた挫折の量が成功のもとです。

見ることのできない地下部との格闘でかいた汗は、裏切ることなく地上部に現れてきます。

作物がうまく育たないとき、それを土のせいにはしません。

ずっと前からそこに存在している土のほうが、突然来た作物を嫌がっている、

わたしはそう考えます。」

という言葉は非常に意味深いものがあります。

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