誰のためのダムなのか?八ッ場ダムに行って 1

  • 2009/10/10(土) 11:27:06




政権がかわり、連日のようにテレビで八ッ場ダムのことが報道されています。

 ダム建設続行か?中止か?

 私なりの判断をするために、八ッ場ダムに行ってみることにしました。

 途中事故で渋滞し、関越自動車道の高坂パーキングで朝食をとることになりました。


 レストランで、「彩の玉手箱」と「彩美膳」を食べることにしました。

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彩の玉手箱


彩美膳




 このレストランおすすめの料理だけあって、バラエティにとんだ料理が少しづつ盛られ、おしながきまでつけられて、なかなかサービスエリアの食事とは思えないような豪華なものでした。

 また、他では見かけないようなパエリアを売っているところもありました。




 渋川・伊香保インターを降りると、田園風景がひろがります。

 行く途中、蛍の保護地にされているとことがあり、記念撮影。

 


小川が流れています。


 稲刈りの時季なので道の両側のいたるところに稲穂が干してあります。



 何か子供の頃童謡で歌った「里の秋」という歌を思い出します。



 黄金色の稲穂が風に揺れ、雀がそれをねらってあたりでにぎやかにさえずっています。

 



 道はしだいに渓谷沿いの山道にさしかかり、見える風景もだいぶ変わってきました。

 ごつごつと突き出た岩の山、狭い道。

 途中駐車できるところがあり、車をとめて遊歩道を歩いてみました。



吾妻川沿いの遊歩道で、鹿飛橋という橋がかかっていました。


 



 滝があり、うっそうと樹々が生い茂り、とてもいいところです。

 





 空気がとてもきれいです。










 再び車に戻り、ダム建設現場へ向かいました。

途中、温泉街を通りましたが、移転するためほっておかれてさびれた印象でした。

 温泉街を抜けて橋のところまで通りかかると、テレビで報道されている工事中の巨大な橋が見えました。







 そして、テレビで報道されてから、この八ッ場ダムを訪れる人や車が増え、渋滞をひきおこしているということです。


 この写真からも車がじゅずつなぎになっているのがわかります。

 八ッ場館というダム建設について展示されている所へ行きました。


 ここからは、さらにあの巨大な橋がまじかに見えます。







 この八ッ場館の方からダム建設について伺いました。

 まだ、3〜4割の村人が移転せずに残っていること。

 住民はダムに沈む土地を耕しながら生活しているのかと思いきや、ほとんどがサラリーマンだということ。

 国からの保証金で高い移転する代替地を買い、住んでいた土地は更地にして返さなければならないこと。などなど。

 私自身の意見は、またあとでまとめて書くとして、ここへ来てはじめてわかることが、随分あった。

 八ッ場館を出て、ダムに沈むところを確かめに歩いてみた。



 道路を通すためにいたるところで山肌が削られていた。



 

吾妻川は強酸性川で魚も住めぬ川のため、中和剤を投入しているということです。




ダム建設反対について以下のような理由が出ていた。
 http://www1.jca.apc.org/kougai/sokai/sokai34/03yanba.html


「ダムの建設計画反対理由は極めて多岐である。
  
 
 第1に、建設予定地付近の吾妻川は強酸性であり、1日当たり60トンもの中和剤が注入されている。この中和剤の大半が八ツ場ダムに流入し、堆砂として蓄積されることになる。 


 第2に、堆砂として蓄積された中和剤は水質汚染の原因になる事が明らかであり、その汚染は下流の利根川の汚染へと拡大する怖れがある。
 

 第3に、関東地方でも有数の景観を誇る吾妻渓谷は壊滅し、渓谷美を最大の「売り物」としている川原湯温泉街の衰退は必至である。
 

 第4に、当初予算2110億が4600億円に増額された。しかし、現時に於いて付帯工事など一切を含めると、総経費は8800億と試算され、やがては9000億から1兆円という金額に「成長」すると思われる。当初はちいさな予算から出発し、追加工事の連発で膨張を続ける「小さく生んで大きく育てる」公共事業の典型である。
 

  第5に、計画立案が1952年(昭和27年)で、その基礎データは1947年(昭和22年)のキャサリーン台風の際の数値である。昭和22年の日本は敗戦直後であり、山も川も今とは様相を異にした。世間は移ろい変わっても「今時までたっても止まらない」公共事業の一つである。
 
 第6に、治水上も全く不要と思われる計画であるが、国交省は200年確率、即ち「200年に1度の大雨には役に立つ」の計算式グラフを解説している。その規準の14Pは「実際の雨がこのグラフに一致することは極めて稀である」と記載している。 

 第7に、昭和45年6月10日、衆議院地方行政委員会に於いて、当時の文化庁文化財保護部長は、建設予定地について「ダムの基礎地盤としてはきわめて不安定である」、「大型ダムの建設場所としてきわめて不安な状況」、「ダムを建設する場所としては非常に不安定な地形」との答弁を繰り返している。
 

 以上の反対理由のホンの「上澄み」である。その他、浅間山噴火、文化財保護、自然環境、水質、地質、治水、利水、などなど、反対理由を並べたているだけで紙数が尽きてしまう。事実、反対理由を述べる書籍が複数出版されている。」


 私自身行ってみて、さまざまな思いを持った。

 帰る途中、「神代の杉」というのがあって、記念撮影。



 水沢により、と言ってもお店はほとんど閉まっていて、開いていたカレーうどんの専門店「遊喜庵」で、水沢うどんを食べて、帰途に着いた。


                   つづく

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