アメリカ・カナダを旅して思うこと  4、 観光立国となるために

  • 2011/08/21(日) 21:07:42

4、 観光立国となるために

 アメリカを旅行することは、日本の何年後かを先取りしてみる事のできる楽しみがある、と、同行した服部さんは行きの飛行機の中で言っていたが、実際に行ってみると、アメリカの生活がずば抜けて進んでいるというよりも、日本の技術や生活様式のほうが進んでいるという印象を受けた。

今までめざましく、常に時代の先端を行っていたであろうアメリカが、この何年かは停滞し続けているという印象だった。ニューヨークもそれほど時代の先端を行っているようにも思えなかった。

アメリカでは、どこへ行っても、ウオッシュレットなど見かけることはなかったし、交通システムや駅の改札など、日本の方がよっぽど進んでいた。

 ビバリーヒルズの高級住宅街に行ってみたりもしたりして富裕層の住むところなども通ったが、サムプライズローンの破綻をはじめとし、経済が不安定な今のアメリカでは、貧富の差が日本よりも激しく、ホームレスなども随分見受けられた。アメリカでもカナダでもカートに生活用品一式を入れて、移動して歩いたりしている。ただし、日本と違うところは、実にあっけらかんと駅のホームなどにも入り込んで、堂々と「金くれ!」というところだ。

 今までの日本はそれほど貧富の差がなく、アメリカに比べれば大きな政府だけあって、医療制度も社会保障も、進んでいるように思われた。移民などにより、多種多様な人種がひしめきあっているアメリカでは、経済も暮らしも不安定のようだ。

経済破綻により、それまで乗っていた車を手放し、バスや電車を利用する人口が増えても、車に依存していた交通システムは、日本に比べても遅れが目立っていた。かと言って、自転車やバイク・電動自転車などを利用する人達もあまりいなかった。自転車は専用レーンで、スポーツとして存在するようだった。

 スーパーなどは、日本とそれほど変わらないが、お惣菜からデザートまで何種類も並べられているところから、好きなだけ自由に器にとり、それをレジに持っていくと、重さで代金を払うというシステムがあった。

また、かなり高価な肉やあわびや海老などを、客の目の前で調理し、出来上がった料理を家庭で温めるだけというコーナーもあった。仕事をしている主婦にとっては、高いかもしれないが料理をしてくれたものをそのまま持ち帰れるという便利さがあった。これからのスーパーはそのようになるのかもしれない。

 一ヶ月滞在というアメリカ・カナダ旅行もあっというまに終わり、帰ってくると留守の間にできずにいたことや、お中元などやらねばならぬこともあり、また、旅で撮った写真の整理やYOUチューブをブログにアップすることに追われ、ほとんどブログも更新できぬままだった。

旅行では、日本で使っていた携帯が使えず、ブログにアップすることもできなかったから、帰国してからが大変だった。大量の写真やビデオなどの整理に、記憶をたどりながら机に向かう日が続いた。

 一ヶ月ほっぽり放しにしていた和順庭は、帰国して行ってみると道に草が生い茂り、入れないほどだった。



しかも、帰国後は涼しかったものの、このところの猛暑に草取りは困難を窮めた。


昨日(8/20)も日暮れまで草取りをして花火を眺めて帰って、鏡を見ると、あっちこっち蚊?に刺され、お岩さんのようにまぶたが腫れ上がってしまった。





 写真の整理とブログ書き、和順庭の草取りの間を縫うようにして、御巣鷹山の慰霊登山・慰霊祭取材、横須賀の佐藤栄佐久前福島県知事と上杉隆さんのシンポジウム取材、自由報道協会の市民メディアの取材などをこなしている。

情報を待っているだけでなく、取りに行くことは難しいが、できるだけのことはしてみたいと思っている。情報が得られれば得られるほど、テレビは見たくなくなる。記者クラブからの情報を待っているだけの記者が流す情報だけでは、国民を守れない。そんな記者なら経験も何もいらない。誰がなっても何ら変わらない。

 また、旅行に行きたいと思うほど、今度の旅行では得るところがあった。懐が豊かだったら、すぐにでもまた行きたい所だが、今度はいつ行けるだろうか?若ければまだまだ先があるが、体の自由が利いて、長旅に耐えられるのはいつまでだろうか?日本に帰ってほっとしたら、世界中を見てみたいという贅沢な思いが湧き上がってきたのが不思議だった。

日本が観光都市として誇れるようになるためには?

2で書いた「観光都市バンクーバー」http://wajuntei.dtiblog.com/blog-entry-1376.htmlを、ぜひ参考にしてもらいたい。そして、私の一ヶ月のこの旅行で外国人旅行者の立場から、どのようにすれば日本の国で旅行者ができるだけ不安なくすごせるかを、思いつくまま、まとめてみた。

・できるだけ案内(掲示やパンフレット、地図など)は、いろんな言語(英語、中国語、韓国語など)で用意する。

・駅や空港などには、改札やゲート出入口付近に案内所や職員をおき、切符購入など日本語だけの場合は職員に聞けるようにする。券売機などもできるだけ多言語とする。
 (飛行機・電車・バスなどの切符の購入が大変だった。)

・レストランのメニューは、文字だけでなく写真や絵などで、どんな料理が出てくるのかがわかるようにする。(日本語だけでなく英語などもいれておく)

・ホテルを出て、駅に着いたら、切符を乗り継ぎのたびに買わなくてもすむように、バス・電車(モノレール、私鉄・JRを含む)などどれにも乗れる一日乗車券を用意する。
 できればそれをホテルなどで買えるようにする。観光案内図や一日乗車券などホテルや空港の案内所に用意して、何でも聞ければ安心。

・お金を利用するのが困難なので、日本のお札やコインなどについての説明がかかれたものがあれば、さらに便利。

・持っている携帯など日本で必ずしも利用できるとは限らないので、困ったときの対処法(電話や交番や警察への通報など)について、教えられるようにしておくこと。

・日本への入国審査が許可された人に、困ったときにはどうすればいいかについて書かれた文書などを渡す。

・いつでも困ったときに聞ける案内所の電話番号や場所の地図を、配布する地図や観光案内図、一日乗車券などに書いておく。


すでにメトロでは、このような取り組みが始まっていたので、参考に挙げてみた。

______________________________



東京メトロのご案内がよりスマートに! 平成23年8月18日

「iPad」を活用したご案内サービスの拡大
≪サービスマネージャー配置駅の全てで本格導入! 8月22日(月)から≫


平成23年8月18日

東京メトロ(本社:東京都台東区 社長:奥 義光)では、平成22年12月1日(水)から銀座駅と表参道駅の2駅で「サービスマネージャー」によるお客様へのご案内サービスに「iPad」を試験的に導入してきましたが、好評のため、平成23年8月22日(月)から、他のサービスマネージャー配置駅12 駅(上野駅、日本橋駅、新橋駅、九段下駅、日比谷駅、有楽町駅、六本木駅、新宿駅、池袋駅、大手町駅、東京駅、飯田橋駅)に「iPad」を活用したご案内サービスを拡大いたします。

これまで「iPad」を試験導入した2駅では、1日のご案内のうち、約半数で「iPad」を活用したご案内を行っています。主なご案内は、「画面拡大機能を活用した路線図や周辺地図、駅構内図でのご案内」や「東京メトロ各路線の直近の運行状況のご案内」などとなっています。

お客様からは、「文字が大きく見えて路線図などが分かりやすい」「目的地に向かう列車の運行状況が分かるのでとても助かる」などと好評を得ています。さらに、「iPad」を取り扱うサービスマネージャーからも実感として「お客様からとても喜んでいただき、ご案内の幅が広がった。」との意見が多く、「iPad」導入の成果を確認できました。

これらの結果から、「iPad」を活用したお客様へのご案内を全てのサービスマネージャー配置駅で本格導入し、よりスマートに、より充実したご案内を行ってまいります.


「サービスマネージャー」とは

高齢のお客様や地下鉄に不慣れなお客様に安心してご利用いただけるよう、平成16年4月から開始した東京メトロのご案内サービスです。
日中の時間帯(10:00〜17:00)に、お客様のご利用の特に多い14駅で、改札口、きっぷうりばの近辺を中心に、駅構内を移動しながらお客様のご案内に努めています。


「iPadを活用したサービス事例」

・路線図による行き先のご案内
・地図の拡大・縮小による駅周辺のご案内
・東京メトロ各路線の直近の運行状況のご案内
・東京メトロアプリ、メトロタッチなどのアプリを活用し
たご案内
・外国語通訳サービス(英語・中国語・韓国語)
「iPad」を使用したご案内

このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

アメリカ・カナダを旅して思うこと 3、フリーダムからワンワールドへ

  • 2011/08/21(日) 15:55:53

3、フリーダムからワンワールドへ
 
 今度の旅の目的の一つに、あの9・11のワールドトレードセンターを訪ねるということがあった。このワールドトレードセンター(世界貿易センタービル)の跡地へ行くと、あの飛行機が突入しなかったが破壊された第7ビルはすでに新しいビルに生まれ変わっていて、中心となるフリーダムタワー(現在はワンワールドトレードセンタービルと呼んでいる )の建設も、9月11日の式典に合わせて、着々と進んでいた。



ここで服部さんは妙なことに気がついた、と言った。
みんなフリーダムタワーと言ってるのに、実際は随分前に、公式名はワンワールドへと変わっている。最初は国民の間では自由の象徴として「フリーダム」が使われていたのに、いつのまにか政府側は正式名を「ワンワールド」にした、と言う事を知らないのかも、と。また奇妙な形にも気がついた。6つの三角形を上下に組み合わせて設計されたビルで、上面と下面は四角なのに、その途中は6角形になっていて、真上から見たら6角形のビルに見えるだろう、と言うのだ。
市民のための独立メディアセンターIndependent Media Centerが、
実は「666 Broadwayにあって、Jewish Pink というユダヤ市民団体がはいっていて、結局、その財団がサポートしていて、何かとユダヤの人は6が好きな感じで、何やらこのタワーにもユダヤのにおいを嗅ぎつけたようだ。

 さて工事中でどのような所になるのかはわからなかったが、最近報道陣に公開された広場は、かつてあった二つのトレードセンターのビル跡が四角い池になり、その壁面は滝の流れとなっているという。その四方に犠牲者の名を刻むという。

 ワールドトレードセンターへ駅から行く途中、郵便局へ寄って日本への絵葉書を投函した。この郵便局の荘厳な建物は、あの第7ビルがぴったり隣接していたのに、無傷なまま残っていた。この郵便局を傷つけることなく、どうやってあの第7ビルが破壊されたのかも、不思議なことだった。




あの9・11で破壊されたビルの周囲を巡り、工事中だとはいえ、こんな狭い所に、あの双子のビルが建てられていたのかと思った。ツインタワーの設計が日本人であったことも初めて知った。
___________________________

「ウィキメディア」からの引用によると、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC_(%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF)

『かつてワールドトレードセンターは、「ワールドトレードセンター・コンプレックス」という5万人の勤務者と1日20万人の来館者のあるニューヨーク最大のオフィス/商業センターであった。

コンプレックスは1WTCから7WTCまでの7つのビルによって構成されたが、特にその中心であったツインタワー(1WTCおよび2WTC)は完成時に世界一の高さを誇り、2棟の巨大な直方体が並び立つ姿はニューヨーク市やマンハッタンのシンボルとなっていた。日本で単にワールドトレードセンタービルといえばこのツインタワーのことを指した。

2001年9月11日の9/11テロ(アメリカ同時多発テロ事件)によって崩壊して以降は、「グラウンド・ゼロ」又は「ワールドトレードセンターサイト(跡地)」という呼び名が定着している。

現在は、1 ワールドトレードセンター(註)を中心とした新ワールドトレードセンターが建設中である。
             (中略)
設計にはコンペの結果日系アメリカ人建築家のミノル・ヤマサキの案が選ばれ、敷地の大部分を低層ビルや公共の広場(プラザ)とし、隅に二棟の直方体 (63.4m × 63.4m × 415m) の超高層ビルを建てるという建設計画案が1964年に発表された。』

(註)http://ja.wikipedia.org/wiki/1_%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC
1 ワールドトレードセンター (英語:One World Trade Center) は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区のアメリカ同時多発テロ事件で崩壊したワールドトレードセンター跡地に建設中の超高層ビルの名称。以前はフリーダムタワー(Freedom Tower)と呼ばれていたが2009年に名称変更が決まった。2013年完成予定。
              (中略)
ワールドトレードセンター跡地で進行中のWTC再建計画は、「1 WTC(en:One World Trade Center)」など5つの超高層ビルとツインタワー跡地の慰霊場、地下の商業施設、パストレイン・ニューヨーク市地下鉄・バスターミナル等のターミナル施設などからなる。そのうち最も高い「1 WTC」の高さは、アメリカ独立の年にちなみ1,776フィート(約541m)(本体は約415m、尖塔部分含め約541m、延べ床面積約24万m²)である。

__________________________

 このワールドトレードセンターの工事を眺めるように、道を挟んで教会があり、工事の音や人や車の灼熱の雑踏の中で、そこに植えられた木々だけが木陰をつくっていた。そこに眠るいくつかのお墓は犠牲者のものだろうか?この教会はそのまま破壊されることなく残っていた。

このあたりで眺めていると、9・11の資料や写真集を買わないかと声をかけられた。それを日本円にして1000円ほどで購入することになった。

慰霊の気持ちで訪れても、9・11までは工事中のビルを眺めることぐらいしかできない。それでも、ぐるっと周囲をまわりながら眺めようと歩き始めたが、不思議なことにある所まで来ると、ぞくぞくするような寒気に襲われた。鳥肌がたつような震えがして、不思議な感覚にふと辺りを見回すと、9・11で亡くなった消防士の慰霊のレリーフがあった。

この時は何か後ろ髪を引かれるような思いを持ちながらも、さらに歩を進めた。周囲のビルの中に入ると、9・11の経験者が語り部となり、当時のことを話されていた。何人もの人達がとりまき、聞いていたが、私には話される英語があまりよく理解できなかった。

広島・長崎の原爆のことを海外から来た人達に伝えるとき、どんなに理解する気持ちがあっても、言葉が通じなければ、正しく伝えることができないであろうことにも思いが及んだ。できるだけ多くの言語通訳があれば、より伝えようという思いが伝えられることだろう。

 これは、あらゆることに言える。レストランで注文しようとメニューを見る。材料名などが列挙されていても、それがどのような料理として出てくるのかは検討がつかない。写真でもあれば、わかる。

国際化ということで、外国からの旅行者を受け入れようとするなら、まず言葉が違っていてもわかるような配慮をすることが、何より求められると思った。言葉が通じなくても、写真や絵など聴覚だけでなく視覚からも理解できるようにするなどの工夫があれば、その心遣いは必ず通じることだろうと思われた。

 この時は工事中のビルのまわりをまわることでそのまま帰ったが、私はなぜかあのときの鳥肌がたつ思いは何だったのだろうか?と考え始めていた。

そのとき、あの日航機墜落の御巣鷹山へ登ったときのことを思い出した。やはり途中で、震えと山中がすすり泣いているような無言の訴えを感じた。この時は事故について何の疑問も持っていなかったし、この日の山道は雪も残っていたので、雪による寒さからかと自分にも言い聞かせて帰った。

私には、これといった霊感があるとは思えなかったから、このときはあまり気にもとめなかったが、あの御巣鷹の山のすすり泣きはいつまでも多くの墓標とともに蘇り、何かを訴えずにはいられないのではと思い始めた。

それからこの日航機墜落のことを調べ始め、「日航機墜落の真相」http://wajuntei.dtiblog.com/blog-category-6.htmlとしてブログに書き続けた。服部さんも「日航機墜落の真実を求めて」というサイト
http://nvc.halsnet.com/jhattori/nikkou123/に書いている。

 なぜ墜落後すぐに救助に向かわせず、自衛隊員を待機させたのか?なぜ、墜落位置は特定でき、米兵が救助寸前まで行きながら、命令で引き返したのか?など、あらゆる疑問が解けぬまま残った。ただ、はっきり言えることは発表されているような事故ではないということだ。

このワールドトレードセンター跡地で感じたものは、そのときのような山のすすり泣きではなかったが、その後ずっと私の中でひっかかっていた。そして、このままでニューヨークを離れ、ロサンゼルスから帰国する気持ちにはどうしてもなれなかった。

 ニューヨークを去る前日、私は再びこの地を訪れることにした。あのときにこの場所で感じたことが、私の中でしだいにはっきりしはじめていた。この9月11日のセレモニーに向けて着々と準備が進む中で、ビンラビィンの死亡により、このことはすでに終わったこととして、この事件そのものに蓋をされてしまうことへの悲しみのようにも思えた。

あの御巣鷹山で眠るに眠れず成仏できずにいる犠牲者たちの無言の訴えを風がはこんだように、今この地で亡くなられた多くの犠牲者の霊が何かを訴えているようで、どうしてもそのままこの地を立ち去る気持ちになれなかった。

あの消防士たちのレリーフのある場所の柱に、天国にいるであろう犠牲者たちへ書いた絵葉書を結びつけた。「いつも、一握りの権力者のために日常の生活とご家族の幸せを奪われ、犠牲になるのは普通の市民。亡くなられた方々のことを私も、日本の人々も決して忘れません。」という趣旨のことを記した。



この日訪れたときもやはりあのときと同じ、身震いがした。ただ、このことで私の気持ちは少し静まった。そして、この前訪れたときには気づかなかった工事現場の通路のようなところにある有料の事故の模様を展示した仮設の記念所のようなのがあることに気づいた。

入ってみると、事故の再現フィルムや遺品などが並べられていた。犠牲者へのはがきなども用意されていたから、ここで書けば保存されるのだろうが、私のくくりつけた所では、何か置いても撤去されるとの通告がされていたので、すぐに取り除かれたかもしれない。

有料でしか犠牲者へのメッセージが伝えられないのがアメリカらしかったが、私はそれだけはいやだと思った。この人達は、死して有名になろうなどとは決して思わなかっただろう。

それよりもできるだけ自分の人生を、子や親や恋人や夫婦で過ごしたかっただろうと思った。日常の平凡ではあるが悲しいことも楽しいことも経験しながら、もっと生きたかっただろうと思った。

どんな盛大なセレモニーよりも、弔辞よりも、真実を解明し、二度とこのような悲劇を繰り返さないで欲しいと願っているはずだ。これら故人の思いをかなえるためにも、事故原因の究明が残された者にとってできることであると思わずにはいられなかった。

 今年の9月11日、装いを新たにしたフリーダムタワーは、慰霊の地として生まれ変わるはずである。厳かに盛大にセレモニーが執り行われる。そして、この事故が過去の出来事として、アメリカは動き始める。

しかし、この地で亡くなられた方々は、私に「これで終わりにしないで、真相を伝えて」と言っているようだった。私は私なりにこれからも調べていくことを約束して、この地を去った。

そして、8月12日御巣鷹山へ行った。慰霊登山では、あの時私が感じたようなすすり泣きは感じられなかった。何かが、亡くなられた方々の死してなお死ねずにいるあの必死の訴えが、少しずつ真実に近づきつつあるように思えた。あの眠れずにいる多くの霊がやっと眠れるようになったように思えた。あとすこしでたどり着けるようにも思えた。

 初めて「すげの沢」へ行った。こんなにも墓標があるとは。涼しく吹き抜ける風に、この沢のあたりに事故後多くの生存者がいたこともわかるような気がした。

慰霊祭も中継して、どんなに死後弔われても、あの事故を境に人生が変えられた人達がいる、真相究明以外に弔う道はないとはっきり思えた。

 アメリカでは、この9・11以降、愛国法の制定などで、自由に発言することが難しくなってきているように思える。市民メディアへのインタビューでも、このことには敢えてふれようとしないところが感じられた。

このまま終わっていくのだろうか?私に訴えたあの思いを無駄にしたくはないとの気持ちを新たにした。そして、できればまた9月11日には、この地を訪れたいと思ったが、とてもそれだけの経済的ゆとりはない。しかし、あの通り過ぎようとした私に必死に訴えかけてきた眠れずにいる人達へ、私の思いをいつか伝えたいと思っている。

             (つづく)

このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る

アメリカ・カナダを旅して思うこと 2、観光都市バンクーバー

  • 2011/08/21(日) 08:51:51

2、観光都市バンクーバー
 
 外国人旅行者にとって、カナダのバンクーバーという都市の徹底したサービスや案内には驚かされるばかり。

バンクーバーオリンピックが開催されたということもあるからか、切符を買うのにも、日本語の案内があったり、空港の入国審査を終えて、ゲートを出ると、ホテルのフロントのようなホテルやバンクーバー観光について聞ける大きな観光案内所や、「?」というマークのある案内所があり、どんなことも聞けるようになっている。これだけでも、バンクーバー、さらにはカナダという国が好印象で受け止められることは間違いない。


「?マーク」の案内所は、この動画にあります。



世界で一番住みやすい国というのも、うなずける。空港のゲートを出て、カナダの国に入ったとたん、すぐに何でも聞けるところがあり、これによって旅行客は、不安がなくなり、この国によって守られていると感じる。こじんまりした都市の中に、山あり、海あり、本当に美しい都市だった。森林を利用したキャピラノ渓谷は、自然を壊さずにその魅力を充分伝える工夫がされ、これは日本の観光地も取り入れられると思った。


 荷物がなくなるというハプニングへも、空港職員が探して、ホテルへ届けてくれるという。さらに空港の観光案内所では、ホテルのある場所は、危険な所にあるから絶対あたりを歩かず、タクシーでホテルまで直行するようにも言われた。食事も空港で済ませていくというアドバイスも受けた。

アメリカの空港は、合理化され、機械処理がほとんどで、尋ねようと思っても聞ける人がいない。戸惑う観光客の姿も随分見られた。アメリカの航空会社は、バスや電車の駅と同じように思えた。

それに比べて、カナダの空港はどこでどんな困ったことがあっても、聞ける航空職員がいる。バンクーバーからニューヨークへ移動する日、服部さんがホテルの鍵を空港まで持ってきてしまうということがあった。

ホテルに電話すると郵送するように言われた。空港に送迎しているようなホテルでは、いつも空港に誰かは来るのだから、観光案内所に預けておくように言うのが普通だろうと思えたが、このホテルは、そのようなホテルではないし、空港職員からもあまりよい印象を受けていないようなホテルだった。

だから、郵送するようにと言ったのだろう。案内所で、郵便局を聞くと、空港地下にセブンイレブンがあり、そこへ行けという。その場所を聞くのに、通りかかった空港職員に尋ねると、セブンイレブンはただポストがあるだけだから、郵便を出すのは、空港から出て、郵便局に行かなければならないという。この時間はやってないという。

困り果てていると、その職員のピーターさんが事情を尋ね、話をするとホテルまで届けて下さると言う。搭乗時間が迫っている中、このご好意に甘え、お礼もそこそこにゲートに入ってしまったが、このときほど人の優しさが身にしみたことはない。このときのピーターさんと服部さんのやりとりは、何ともいえぬ漫才を見ているようなおかしみがあり、不安でどうしようかと思っていた私にとっては、バンクーバー空港の職員の暖かさに、最後の最後までバンクーバーのすばらしさが印象に残った出来事だった。

ピーターさん、ありがとうございました。

 1のところで書いた、バンクーバー空港のUSエアウエィズの職員で日本語で応対して下さった愛さんといい、ピーターさんといい、アメリカのようなお金でサービスが得られる国とは違う充実したカナダの観光客への対応に、バンクーバーが世界一住みやすいと言われる理由もわかったような気がした。

カナダでの入国審査の所にいた中国人職員に中国人と間違えられてか、いきなり中国語でまくしたてられ、どなりつけるようなその失礼な態度にあまりいい感じがしなかったが、その後の多くの空港職員たちの観光客を思う対応にそのときの不安はすっかり消え、この国への印象もすっかり変わったのだった。

 
 ロサンゼルスから成田に着いて、成田空港を見たとき、何とも無機質な冷たい空間のように思えた。壁の色などにもよるのだろうか?着いた時間が遅かったせいもあるのかもしれないが、バンクーバー空港の暖かな落ち着いた雰囲気からすると、なんか寒々としているようだった。「?」のコーナーや案内所もあるのだが、何かどこかバンクーバー空港の暖かさとは違うように思えた。

 また、バンクーバーでは、シーバス(船)などの券売機にも日本語があり、驚いた。切符を買うことがとても大変だっただけに、これにはとても救われた。

また、空港から出ているカナダラインというモノレールや、シーバスなどで改札も、切符をチェックされることもなかった。入るときと出るときにチェックする日本と比べれば、実におおらかといえた。

京都の人が観光客に親切なように、バスの運転手さんも、観光客とわかると無料パスをくれたり、とても親切だったが、ホームレスが乗ってくると厳しく対応し、もめるとすぐ警備員がかけつけたのにも驚いた。

 アメリカやカナダでは、乗車運賃は駅ごとではなく、大きく3つに分けられていた。ニューヨークの地下鉄は、今まで書いたように、土日は工事で運休になったりしても、それを知らせる掲示すらない駅もあり、待たされるだけ待たされた挙句に運休と知らされることもあった。

駅の構内もホームも蒸し暑く、人でごったがえし、改札も旧式の機械で、切符の磁気が読み取れず、つっかえることもしばしばだった。ニューアークペンステーションからワールドトレードセンターまでのパストレインという地下鉄の改札だけが、日本の改札と同じようで、これは公営の港湾会社の経営だからか新式の改札で時間にも正確だった。

ニューヨークの列車アムトラックのこともすでにニューヨークの所で書いたけれども、ニューヨークペンステーションで列車を待っていても、入る直前になってもどこのホームに入るかが確定せず、大勢の乗客が構内で待機し、発表になると、ゾロゾロとホームへ移動してゆくのにもびっくりした。

しかも、この待っている場所が暑い。日本のような交通システムに慣れていると、とても耐えられないのだが、みなこんなものだと黙って耐えていた。

 ニューヨーク市内観光バスの猛暑対策をしない赤バスのひどさや、ロサンゼルスの公営バスに待たされることについてもすでに書いたが、やはり日本と違って、この広いアメリカでは、車のないバスや電車を利用する者は、貧しい者と位置づけられ、これら人々はただただ待たされることに耐えている。

ニューヨークの人と車がごった返す喧騒を、ある人が戦後の混乱に似ているといったが、ここでは信号に従う人が皆無だった。混乱の街ニューヨークは暑く、いるだけで疲れ、ニューヨークからロサンゼルスに着いたときにはなぜか人心地着いたようだだった。

ただ、セントラルパークでは蛍が見られたのは感激で、夜もとても治安がよかった。サイクリングをしたり散歩をしたり、都会のオアシスだった。

 旅のハプニングは、トランクがなくなっただけでなく、飛行機の乗り継ぎでのれなかったということもあった。

ネットのエクスペディアの予約では、時間さえ合えば発券予約してしまう。乗り継ぎのための搭乗移動や荷物検査やボディチェックの時間など考慮されてはいない。その結果、乗り継ぎ時間20分で、フェニックスで乗り継ぐというチケットで搭乗することとなった。

このエクスペディアでの予約の注意もさることながら、フェニックス空港では、それにデルタ航空職員のいい加減な対応により、不安のどん底に突き落とされるということにもなった。

ロサンゼルス空港からバンクーバーに移動する日。朝、9時前にロサンゼルス空港にホテルから着き、ほとんど空港職員がいない中でのデルタ空港での機械での発券に手間取りながらも、なんとか無事搭乗。

直行便が高いので、どうしても乗り継ぎ便になってしまう。どうしてこんなに航空運賃は高いのだろう。運賃の他に燃油代というのが、同じぐらいかかってしまう。格安航空に殺到するのもわかるような気がする。同じアメリカなのにロサンゼルスからニューヨークでさえ、片道乗り継ぎ便で5万円以上する。もっと安ければ、気軽に旅行もできるのに。ただ、安くて安全でないのは困るけど。

フェニックス空港で、航空職員に聞いて何回もパスポートと航空券を見せなが指示を受けて別のゲートへ案内され、荷物検査やボディチェックも済ませて、搭乗しようとすると搭乗口がなく、別のターミナルだと気づいて全力疾走したが間に合わなかったことは、「フェニックス」の所で詳しく書いた。

http://wajuntei.dtiblog.com/blog-entry-1353.html

しかも、搭乗口の戸が閉められたデルタ航空のあたりには職員は誰もいず、聞くに聞けず、飛行機にも乗り遅れ、見知らぬフェニックスという砂漠の町に取り残され、途方に暮れてしまった。治安の悪い所だったらどうしようと思うと、恐怖感はピークに達した。幸いにも治安のいい所と聞き、ほっとしたものだった。

この私達にホテルや翌日の航空券などの手配をしてくれたのは、デルタ航空ではなく次に搭乗するはずのアラスカ航空の職員だった。この日、フェニックスとシアトルで乗り継ぎ、バンクーバーへ行っているはずだったのに、フェニックスという見知らぬ町に取り残された私達の事情を聞いて、とりあえずのホテルや残されたトランクを探してくれたのもアラスカ航空の職員で、デルタ航空の職員はどこにもみかけなかった。

デルタ航空とアラスカ航空は、提携しているから手配してくれたということはあるかもしれないが、飛行機が飛び立っても、トラブルはあるはずで、デルタ航空の職員はどこを見渡してもいないというのも不思議だった。

 行きの成田からロサンゼルスから搭乗したシンガポール航空に対する不信感は帰りのシンガポール航空の日本人スチュワーデスのすばらしいサービスで払拭されたが、このデルタ航空に対する度重なる失態と不信感はいつまでもいやされず、どんなに安くても、デルタ航空には乗りたくないと思ってしまう。

自分の国を離れ、異国の地にいると、ちょっとしたことで不安にもなり、感激もする。この旅を終えて、日本の駅の切符売り場などで困っている外国人を見かけたら、まわりの人のちょっとした心遣いで、日本への印象も変わるものだと、何か力になってあげられればと思っている。

                       (つづく)

このエントリーをはてなブックマークに追加
LINEで送る